誰も信じられない世界
時は流れ、民たちの世代も入れ替わります。
そして少しずつ、またカナンの地へと近づいてきました。
ただ、アモリ人が住む地方を通るとき、あるトラブルが起こります。
戦の始まり
当時、まだ「盗んではいけない」「人を殺してはいけない」「嘘をついてはいけない」といった、考え方はありませんでした。
それよりか、むしろこれらの考え方は逆に捉えられていたのです。
そして、これは自民族内でもそうですから、他民族は言わずもがなです。
つまり、見ず知らずの人たちが「何も盗みませんので、ただこの地を通らせてください」といっても、信じられなかったのです。
現に、モーセたちが、アモリの王・シホンに、「この土地を突っ切らせて欲しい」というと、シホンはつかさず軍を招集し、イスラエル人たちを攻撃しました。
当然モーセたちも黙ってやられるはずもなく、反撃に出ました。
すると、神の力でも働いたのか、アモリ人たちを全滅させ、この地を占領したのでした。
争いにハマる
そして、ここからモーセたちは、ますます戦をするようになります。
バシャンという地の王・オグを倒し、その地を占領したり、それから、ミディアン人が住むシティムという場所で、5人の王様を殺したりしました。
しかも、このどの戦でも、イスラエル軍は誰一人、欠けることがなかったのです。
おわり
戦士をはじめとする民たちは、このような状況を受け、「神が戦ってくださったおかげだ」と思うようになりました。
そして、皆、自ら進んで神に捧げ物をするようになったのです。
イスラエルの民は、反抗ばかりの先代とは打って変わり、純粋に神を敬う世代へとなっていったのです。
ボーナストリビア:
今回のように、戦いや争いが、秩序や連結を高めることがあります。
そして、その名残は末代まで受け継がれていくことが多々あります。
例えば、日本の「前ならえ!」や「気をつけ、礼!」といった小中高の掛け声は、どれも第二次世界大戦前からの名残です。
つまり、軍隊で行われていた挨拶が、今でも行われているというわけです。
昔は、この一連の動作を持って、軍の熟練度を高めていました。
一方、現代はこの一連の動作を持って、日本人としての真面目さ、忠実さを身につけさせようとしています。
「日本人は勤勉だ」といわれる由縁は、このような文化にあるのかもしれません。