「自分の顔が醜い」と思うあなたへ —— ジャン=ポール・サルトル

教養
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自分が嫌いだ。
足が遅い。口が臭い。背が低い。エラが張ってる。鼻が低い。太ってる。

このように、自分に対して、さまざまなコンプレックスをお持ちの方も多いと思います。

特に外見的コンプレックスは最悪です。

頭が悪い。物覚えが悪い。文字を読むのが辛い。
このような内見的なものは、隠くしたり、見て見ぬふりをすることができます。

しかし、外見的なものは隠しようも、努力のしようもありません。

今回はそんな外見的にコンプレックスを解消するためのヒントを「ジャン=ポール・サルトル」から学んでいこうと思います。

ジャン=ポール・サルトル

サルトルは、容姿に悩みながらも、たくさんの少女に告白してはフラられた文学青年でした。

https://meigen-ijin.com/sartre/ より

彼はたくさんの外見的コンプレックスに悩まされました。
背が低く、目もぎょろっとし、その上、強度の「斜視」。

それでも、人一倍「モテたい」という欲求が強く、美少女に告白しては振られるという経験を繰り返してきました。

そんな彼は、数年後、同じ大学のマドンナであったボーヴォワールとの交際し、生涯の伴侶とすることに成功しました。

『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』という映画にもなったほどです。

私は書くことから生まれた。その前にあったのは、鏡に映った像だけだった。

強烈なハンデを抱え、それでもモテるインテリになるために——いいかえれば「本質」を否定し「実存」に生きるために——考え、行動し続けた彼から、我々は多くのことを学べるはずです。

人生に意味や目的なんてない

トカゲという動物がいます。

トカゲには「とかげ」という本質があります。
硬い鱗に覆われ、壁や天井を歩き、昆虫などを捕食する。長い尻尾を持ち、外敵に襲われれば、その尻尾を自ら切り、逃げる。

このような能力をもった生き物であり、自らに似た子孫に残すために生きているといった目的もあります。

これらがトカゲの「本質」です。

一方で、人間には、本質というものがありません

その人の人生の意味や目的といったものが、あるようで存在しない。

人間は徹底的に自由なのです。しなくてはならないことがあるようで、実は何もない。

「人間は自由の刑に処せられている」
「人間は自由に呪われている」
と、サルトは言います。

ちなみに、哲学では、動物人間とを「即自存在」「対自存在」なんて言ったりします。
「対自存在」は、「それが現にあるところのものではなく、それが未だないところの存在」だと定義されています。

つまり哲学が言いたのは、以下の通りです。

「持って生まれたものなんてどうでもいい。これからなろうとするもの、しかしまだなれていない、なっていないものになりうるということだけが重要なのだ」

「私は〇〇である」と思い込みを捨てること。

「私は●●になれる」と思い込むことが重要なのです。

最後に

人間だけが、与えられた自分を否定し、あらゆる囚われから自由になることができます。

トカゲはトカゲにしかなれません。

サルトルは言います。「実存は本質に先立つ」と。

ブサイクだから美男美女と結婚できないわけではありません。実際にそれを実現した人たちがいます。

顔だけではありせん。あなたはどんな風にもなれます。


サルトルは後半生、今までの自分の哲学を実践ヘと移しました。小説家に始まり、劇作家、批評家、ジャーナリスト、ソーシャル・アクティヴィスト。

彼の人生の原動力は全て、鏡に映る、自分のコンプレックスからでした。

さて、皆さん。あなたの鏡には何が写っていますか?



<参考文献>

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