今回は、『チ。——地球の運動について——』の2巻の個人的にグッときた言葉を紹介していきます。
哲学的な内容で、少し手を出しづらい方は、ぜひ今回紹介する言葉の数々を読んでいただき、実際に手にとっていただけたら幸いです。
2巻の名シーン
——いつ見ても空の世界は、締麗だ。。…なのに我々の世界は、なんで汚れているのですか?
それは地球が宇宙の一中心だからだよ——中心なら特別な感じでいい気が
中心というのはね一番底辺ということだよ。重い物は下に落ちる、地球上のどこであろうと常に下へ向かって落ちる。何故なら地球の中心が宇宙の一番底にあるからだ。神様がそうお創りになられた。——何故ですか?
地球は位が低く汚れていて、そこに住む人類は無力で罪深いと思い知らせる為だよ。夜空がいつも締麗なのは、この穢れた大地から見上げているからだよ。——地球が宇宙の一番下にあるなら、なんで空の星は落ちてこないんですか
天の世界は崇高で荘厳で遼遠で偉大で——下等な地球如きとは調和しない
『好き』がいけないわけがない! この世に期待しなくなると我々の魂は瞬く間に濁ってしまう。好きとか夢とか希望とかそういうものは捨てちゃダメだ
君らこそもう一度考え直すべきじゃないか? いまのこのC教は本当に君らをすくうのか? というか、そもそも彼らのいう天国など本当に存在するのか?
——異端者如きにはわかるまい
そういう君らは、いったい何をわかっているんだ? きみらはこの世の絶望から目を逸らすために、あるかもわからない天国に逃げてるだけじゃないのか?
君らが絶望を突き放しているのだ。
人は悲劇を肥やしに、時に新たな希望を生み出す。
その場凌ぎの慰めなんか現実を変えやしない。
だが、芯から湧き出た苦悩は、或いは、にづめられた挫折は、君の絶望から、希望に転化しうるのだ。
なのに君らは絶望に目を塞ぎ、誰かがくれた死後の保証付きの人生を生きている。
そんな人間に希望など訪れない。
異端か。君がそう呼ぶものをなぜ恐れるかよくわかるぞ。
理解不能だからだ。むしろ逆、君こそが天国を信じきれていないからだ。
私が死んでもこの世界は続く。だったらそこに何かを託せる。それが喪失まみれの世界から生まれたある種の希望だ
最後に
「いままで嘘が真理と呼ばれてきたのだから、あらゆる地位の価値転倒、これが私の方式である」
ドイツの哲学者、ニイチェの言葉です。
常識というのは、非常に手強い。
我々にとって、常識こそが全てであり、それ以外は非常識である。
そう。それは、まるで『ハリーポッター』に出てくる「名前を読んではならないあの人」の如く、我々は、それらに恐怖し、決して踏み切ろうとはしない。
であるからこそ、我々は、忘れがちである。
常識こそが、我々を動けなくさせているということを。
常識こそが、優れた発想に蓋をしているということを。
我々は忘れてはならない。
「『ありえない』なんてことはありえない」ということを。