ドイツの天才作曲家、ピアニストであるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。
交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」は、知らない人はいない名曲です!
彼の変わった習慣!
音楽室に行き、彼の写真がない、ということはあり得ないベートヴェン。
彼の偉業は、「古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆」とWikipediaには書かれていますが、正直よくわかりません。
ですが、彼の作った曲が、そんな無知の我々を黙らせる破壊力を持つことは周知です。
そんな彼、ベートヴェンですが……
彼の1日は、夜明けと共に始まります。
いや正確には、夜明けより、少し早い時間に目が覚めるそうです。
そして、コーヒーを飲む。
ただし、コーヒーを飲むと言っても、彼は豆の数(60粒)をしっかりと決めていました。
(※一般的なコーヒーは、一杯あたり10gから12gと言われています。10gで大体40粒くらいです)
(※ベートヴェンは一杯当たり60粒ですので、15gの豆の分量でコーヒーを飲んでいたことになります。皆さんも試してみましょう!)
コーヒーを淹れると、彼の作曲は始まります。
彼の手法はよくモーツアルトと比較されます。
モーツァルトは、曲を最初から最後まで一直線に作るタイプです。小説家でいうなら、スティーブンキング流です!
一方、ベートヴェンは、簡単な着想をどんどん膨らませ、何度も修正を入れながら、曲を完成させます。小説家でいうなら、ディーン R.クーンツ流です。
作曲は散歩から
そして15時になると、散歩に出かけます。
コーヒー豆をgではなく、粒の量で数える性格ですから、散歩の習慣もきっちり決められています。
彼は「4時間」、毎日散歩をするようにしていたのです。
4時間ただ、ひたすら1人で、森の中を歩き続けるそうです。
そして歩いているうちに、着想が頭に浮かぶことが多々あったのだとか。
歩いているうちに思いついたことは、すかさず持ってきた紙にメモします。
午後の散歩は彼のアイディアの源だったのです。
そしてその後、19時からは居酒屋に行きます。
そこで……新聞を読む。
一般的な人たちは、朝に新聞を読みますが、ベートヴェンは夜に読んでいたそうです。
アウトプットを「朝昼」、インプットを「夜」にするのが彼の習慣だったのです。
「散歩」
散歩は意外と疲れます。
それが4時間となれば、地獄です。
階段は「エスカレーター」、空港では歩くのさえめんどうになった人のために「オートウォーク」もあります。
電車も車も自電車もあり、現代の我々はただ「歩く」という行為をなかなかしません。
他にも、紙に文字を書かなくなりましたし、体育の時間に無理やりやらされた瞑想も、休み時間の友達とのしょうもないお話も無くなりました。
なぜなら、面倒だからです。
そんな面倒なことより、楽ちんなものがあったら、そっちに流されてしまうのは当然です。
文字はタイピング、瞑想は音楽を爆音で流しながら、休み時間はネットサーフィン。
大人になるにつれ、自由になり、楽ちんなことをどんどん覚えていくのです。
一方で、そういった面倒なことをしなくて済むようになったのに、子供の頃よりも疲れを感じやすくなったのですから、お笑いです。
我々は、大人になるにつれ便利を知ります。
便利を知ってしまったがために、不便を忘れてしまいます。
あるが当たり前になったら、それが少しないだけでかなりのストレスを感じます。
ですので、もし再び、不便を再び知れば……
外で遊んでいた時のように、ずっと立っていれば、今まで安物に見えていた椅子も、最高の座り心地に感じるものです。
ないを知れば、あるを感謝できるようになります。
散歩をはじめとする、人がテクノロジーの力を借りず、自らの力でなせる事柄の素晴らしさに気づけるはずです。
残念なことに、我々は、できなくなってから、そう言った事柄のありがたみを感じ、後悔をするものです。
足が動かなくなってから、歩くことの楽しさに気付き
味覚がなくなってから、不味いことのありがたさに気づき
呂律が回らなくなってから、最もしゃべっておけばと感じます。
我々は一度、テクノロジーも何もなかったベートヴェンの時代を想像し、その時の暮らしを再現してみるのもいいかも知れません。
とりあえず、紙とペンだけを持って会社を抜け出してみるのもいいですね!
(参考文献)