19世紀から20世紀にかけ、ジョセフ・ベルという、お医者さんがいました。
彼の偉業は誰も知りません。
ただ、彼は誰かにすごく似ています。
さて、誰でしょう?
ヒント1
彼は医者だけでなく、大学医学校の教授もしていました。
これは、とある授業でのお話です。
ベルは、生徒たちの前に立ち、尿の入ったコップをかざします。
「医者には熱心な探究心が必要不可欠です。……そう、例えば、この液体の性質を確かめるために、こんなことまでもやります」
そう言ってベルは、コップに指を入れ、指を舐めて見せました。
「どうです? みなさんにもできますか?」
負けん気の強い学生たちはこぞって、コップに指を突っ込み、その指を舐めました。
そして、得意げな顔でこちらを見る学生たち。
そんな彼らに、ベルはこう言います。
「医者には鋭い観察眼も必要です。もう一度私がやることを見てください」
すると、ベルは今度はゆっくりとその動作を生徒の前で披露します。
中指を入れ、人差し指を舐める、という動作を。
ヒント2
ベルは授業だけでなく、診断も個性的でした。
これはベルの診察室で行われている毎日の様子です。
ベルは部屋に患者が入ると、いきなり質問を投げつけます。
「あなたは陸軍にいましたね?」
「最近除隊したでしょう?」
「スコットランド軍ですね?」
「駐屯地は、西インド諸島のバルバドスでしょ?」
患者は、ただ彼の投げる質問に「はい」「……ええ」「…………そうです」と答えるだけでした。
患者は閉じた口が塞がりません。
初対面の相手に、自分のプロフィールを事細かに言い当てられたからです。
それに彼は今日、普段着でした。
駐屯地はおろか、軍人であることさえわかるはずがなかったのです。
ベルがこのように患者のプロフィールを最も簡単に言い当てられたのは、彼の鋭い観察眼によるものでした。
●患者は、診察に入り、礼儀正しくお辞儀をしたあと、ずっと帽子を被ったままでした
——これは当時の軍隊式の礼で
——除隊したばかりだから、このような習慣が残っていたのだと推理できます
——また、患者の体に残っていた微かな刺繍、得意な歩き方からも、彼が軍人であることは明確
●患者の症状は象皮病でした
——象皮病は西インド諸島の風土病です
——この症状から出身地を推理したわけです
——さらにそこに駐屯地していた軍は、スコットランド軍だから、患者がスコットランド軍にいたことは明確です
解答編
「世界で最も読まれているものは聖書であるが、二番目に良く読まれているものはシャーロック・ホームズ物語である」
みなさんもコナン・ドイルが書いたホームズの物語を一度は読んだことがあると思います。
そうです。シャーロック・ホームズのモデルとなったのが、ジョセフ・ベルなのです!
彼は初診の患者を一目見るなり病状、職業、出身地、住所、癖などを言い当てたというのですから、まさにホームズそのものです。
アーサー・コナン・ドイルは、エジンバラ王立病院で、ベルの下で働いていました。
ホームズの人物像は、ベルの観察眼を緩やかになぞったものだそうです。
つまり、ベルの観察眼は、ホームズのそれよりもさらにすごかったということです。
ぜひ、タイムスリップして一度診察してもらいたいですね!
というか、現代の病院も、診断前にプロフィールを記載するのなはなく、お医者さんに当ててもらうという形式だっったら、もっと足繁く通うのですが……。
ただ、ベルのような推理を真似るとき、大きな難点があります。
それは、もし推理を外したら…………かなり恥ずい、ということです。
すり足のごとく静かな足音で病室に入ってきた患者に、「あなたは剣道をしていましたね?」と聞きます。
すると相手は、首をかしげながら「いえ、フェンシングですが」と答える。
もう、お顔真っ赤です!
目も当てられません。
以上のことを考えると、ジョセフ・ベルの凄さは、彼の観察眼以上に、彼の強靭な心臓にあったのかもしれません。
おまけ
「象皮病」といえば、日本では「西郷隆盛」が有名です。
いつからか具体的なことはわかっていませんが、西郷はある時期から、九州南部に多い、象皮病に悩まされていました。これは寄生虫による病気で、皮膚が膨れ上がり、象のようにザラザラになることから、そう名付けられました。
この病気に感染した西郷は、陰嚢(いんのう)が肥大化してしまい、1人で歩くことさえできなくなってしまいます。
西郷は写真が嫌いという理由で、西郷隆盛の顔が残されていないというのは有名です。
ただ、これはもしかしたら、写真のようにキツイ姿勢をキープすることができなかったことが大きく関係しているのかもしれません。
また、西南戦争の後、西郷の死体を探すとき、多くの兵は顔ではなく、彼の陰嚢を探したそうです。
恐ろしや、象皮病。