「やってはいけないこと」というものに、私たちは非常にそそられます。
やってはいけないのに、やってしまう。
それが「やってはいけないこと」です。
「やってはいけないこと」のメカニズム
「やってはいけないこと」をやってしまったとき、あなたはどのように感じますか?
まずは、罪悪感がくるはずです。
昼まで寝過ごした休日。
怒られるとわかっていて行った事柄。
欲求に我慢できず、とってしまった行為。
「やってはいけないこと」と思っている事柄はたくさんあります。
そして、そういった行為をとることで、生じた罪悪感は、次に期待感を高めます。
人は罪悪感を持つと、ドーパミンを得やすくなるからです。
(詳述すると、罪悪感は脳の「両側内側前頭葉」という部分を刺激します。この部分には「トーパミン」をキャッチする受容体が多く存在し、それによって、期待感が高まる、という仕組みです)
「やってはいけないこと」としてこの場合、テレビを例に取ります。
「いつでも消せる」「少しだけ」と思い、近くのリモコンに手を伸ばします。そしてまず、「また見ちゃった」という罪悪感が訪れます。ですが、その後すぐに、「テレビは面白い……はず」という期待感が湧いてきます。
罪悪感の高まった脳は、「罪悪感の後にあなたがとる行動」に期待するようになるのです。
そして、そのようにして行った「やってはいけないこと」をやった結果として、脳は満足感を得ます。
やってはいけないことをして、人に怒られる。
その罪悪感を拭うために、期待感を込め、次に「謝る」という行為を取ります。
そして必死に謝った結果、許され、人は満足感を得ます。
こうして、「やってはいけない」と思っている事柄は一向に脳から消えず、ついつい何度も「やってはいけないこと」を繰り返してしまうのです。
もしくは、「やってはいけないこと」がより強い罪悪感を生み出し、さらなる期待感、満足感を求めて、どんどん繰り返すという悪循環にも陥りやすくなります。
一度、悪いことをやってしまうと、それをなかなかやめられないのは、このためです。
「やってはいけないこと」をやらないために
では、そうならないために、何をすれば良いのでしょうか?
まず、そもそも「やってはいけない」と「やるべきこと」の違いは、やるまでのハードルの高さにあります。
大抵の場合、「やるべきこと」は、「やってはいけないこと」に比べ、やるまでのハードルが高いです。
そのため、始めるまでが何よりも難しい。
そして次に、「やるべきこと」は、「やってはいけないこと」に比べ、満足感への期待値が低いことが挙げられます。
やはり、何か行動を起こすなら、得るものが保証されている行為に傾きやすいのが人間です。
あなたが何か行動を起こそうとするとき、脳内では「やる」or「やらない」という選択を毎回行わなくてはなりません。
そして、そういった選択の中では、やはり「やってはいけないこと」の方が、選択されやすくなることは、必然です。
「やるべきこと」を選択するためのステップ
だとするなら、「やるべきこと」をやるようにするにはどうすればいいのでしょう。
一つは、選択を減らすことです。
江戸時代の人たちが、休みの日にも、熱心に竹刀を振ったり、書物を読んだりしていたのは、彼らが皆勤勉だったからではありません。
それしかやることがなかったからです。
「やる」という選択肢がなければ、そもそもやることができないのです。
もし今この瞬間、「EMP攻撃(電磁パルス)」を受けたら、多くの人たちはやることがなくなるはずです。
iPhoneでゲームをすることも、テレビでNetflixを見ることも、Alexaとおしゃべりすることもできません。
そうなったら、我々はどんな休日を過ごすのでしょうか。
とまぁ、これは極端な例ですが。
つまるところ、「やる」という選択肢を少しでも減らすことが、「やるべきこと」に真っ先に手を付けるのに最適手と言えます。
二つ目は、習慣化させることです。
人間が動物として、本能的に行う行動以外の行動を行いやすくするには、やはり「習慣にする」のが一番です。
チェコスロバキアの諺に「習慣は鉄で作られたシャツである」というものがあります。
習慣とは、それほどまでに強力な武器なのです。
選択以前に、無意識のうちに「やるべきこと」をやる。
これこそが最強の状態です!
(参考文献)