本日は、『習慣が10割』という本に書かれていた「『楽』と『充実』、どちらを取るか」について書いていこうと思います。
習慣化の二つの欲求
人間は生活する上で、大きく二つの欲求をもっています。
「安楽の欲求」と「充実の欲求」です。
安楽の欲求とは、「ラクをしたい」という欲求です。
三大欲求である「睡眠欲・食欲・性欲」の他に、物欲や支配欲、私利私欲などが、この欲求に該当します。
一方で、充実の欲求とは、 自己実現や自己成長、価値創造や社会調和などといったように、「充実して生きたい」という欲求のことです。
私たちが、何かを計画し行動に移すときに、この2つの欲求がぶつかり合います。
安楽型の人間
どちらの欲求を追い求めるかで、その人の思考と行動パターンが決まります。
安楽型の人の思考は「面倒は避けたい」「責任が回ってくるのが怖い」「チャレンジしたくない 」となり、「他人へ責任転嫁」「指示がなければ動かない」「予測より事後処理を優先」といった行動パターンになります。
つまり、安楽型の人は、他者に期待する〈依存型〉タイプと言い換えることもできます。
このような人は、「私じゃなくても誰かがやってくれる」「できなかったら他人のせい」と思い、自分で考えて行動しなくなります。
充実型の人間
一方、充実追求型の人の思考パターンは、「達成するためなら、面倒なこともやる」「責任ある仕事がしたい」「チャレンジしたい」というものになります。
その結果、行動パターンも「自分が責任を取る」「自分で考えて行動する」「トラブルに備える」といったような形になります。
つまり、充実型の人は、自分に期待する〈自立型〉タイプと言えるのです。
どんな環境や条件でも、自分の能力と可能性を最大限に発揮し、道を切り拓いていこうとする姿勢。
それが充実型の人間です。
おわり
どちらが良いというわけではありません。
依存型でも、自立型でも、それぞれにそれぞれの生き方があり、戦い方があります。
また特に、昨今の日本では、自立型が美徳とされているきらいがあります。
20世紀には、「神風」やら「一億総懺悔」やらと、あれほど依存を強いてきたのに、実に皮肉な話です。
充実な人生が必ずしも、自立とイコールではありませんし、たとえ、自立できたからといっても幸せとも限りません。
『ジキル博士とハイド氏』を書いた、スティーブンソン氏は、「何かに忙しくしていることだ。忙しい人間には不幸でいる暇などまったくない」といっています。
「ラクな道」と「充実した道」の選択で迷ったら、「忙しい道」を選んでみるのもいいかもしれませんね!