経営において重要なことは、潰れないこと。
そのために、経営者の多くは、「経験」や「論理」に思考を傾けてしまいます。
しかし、本当にそれだけでいいのでしょうか。
「アート」と「サイエンス」と「クラフト」
一般的に、経営者の思考は、「サイエンス」と「クラフト」よりです。
定石や分析結果から経営プランを考え、過去の実績や経験を重要視する。
それに比べ、「アート」のような思考の持ち主は、大変少ない傾向があります。
その行為は美しいのかどうか、夢を持っているかどうか。
「サイエンス」や「クラフト」と比べ、「アート」は説得力が低いです。
そのため、軽んじられる傾向があるのです。
アートの3つの美点
ただ、昨今の経営において、「アート」はとても重要だと考えられるようになりました。
その理由は3つあります。
1つ目は、「論理の限界」です。
変化が激しい現代。
どうしても、情報の少ない中で意思決定をしなければならない事態が起こります。
そんな時に、「論理」や「経験」だけだと、処理できない問題が必ず生じるのです。
2つ目は、「自己実現欲求」です。
あらゆる商品は、「機能」→「情緒」→「自己実現」の段階を経ます。
例えば、iPhone。
「機能」:電話・メール・ビデオ通話・音楽・読書・映画鑑賞
「情緒」:無駄のない、あのデザインがいい!
「自己実現」:ケースをこったり、待ち受けをこったり
このような商品は、決してこれまでの「経験」や「実績」によって作り出せるものではありません。
最後、3つ目は、「グレーゾーン」です。
例えば、メタバース。
現在、一部の人たちは、インターネットの中で、自分のアバターを作り、そこでお仕事しています。
そんな新しい世界がどんどん広がる中、ルールが追いつかない、という事象多数存在します。
この時、経営者はどこまでが「グレーゾーン」なのかを判断し、試行錯誤しなくてはなりません。
パターン認識の罠
「アート」と、「サイエンス」「クラフト」の1番の違いは、「思考をパターン化しないこと」にあります。
「パターン」を意識した思考の罠。
それは、過去の知識から抜け出せないことです。
「パターン認識」の人たちは、ゼロベースで観察しようとしません。物事を決めつけ、新たな変化に気付かない。
一方、「アート認識」は違います。
全ての事象を、虚心坦懐に見つめ、感じ取っています。
そのため、些細な変化も見逃さないのです。
おわり
池井戸潤さんの書かれた小説は、度々、ドラマ化されます。
『半沢直樹』『下町ロケット』『ルーズヴェルトゲーム』『ノーサイド・ゲーム』『陸王』などなど。
クチでは「アートなんて」と言いながら、「夢」や「自分の美学」を元に描かれた物語に、自然と引かれてしまうのはなぜなのでしょうか。
思考は現実化する。
決して「サイエンス」や「クラフト」が重要じゃない、といいたいわけではありません。
しかし、「サイエンス」や「クラフト」というのは、他の仲間・社員たちがやってくれることでもあります。
ですので、リーダーはその一歩前に立つ必要があるのではないでしょうか。
経営者の一番の仕事、それは「ぶれない軸、そして夢を持つこと」です。
そういった人は、ドラマの中だけでなく、現実世界でも周りに大きな影響を与えます。
ボーナストリビア:「レディーガガの決断」
世界のトップアーティスト、レーディーガガ。
彼女は、駆け出しの頃、世界のオーディションに挑戦しては、ことごとく落ち続けていました。
ブレイクする前、彼女のスタイルは、ピアノの弾き語りでした。
しかし、そこで問題になったのは彼女のルックスです。
当時、「弾き語りでいけるのは、超のつく美人だけ」と言われており、平凡な恰好で、特別に可愛いわけではなかったレディー・ガガは注目を集めることはできませんでした。
そんな彼女にとって転機となったステージがあります。
ある晩、その日も観客たちは彼女の歌を全く聞こうとしません。
そこで彼女は、思いきってステージ上で服を脱いだのです。
「そのまま下着姿でピアノの前に座ったら、みんなびたりと口を閉じたわ」
その晩の出来事がターニングポイントだったと、彼女は語っています。
「あの時、どんなポップアーティストになりたいか、私は大きな決断をしたの。あの時あの場所で、あの瞬間に、パフォーマンス・アートができあがったの」
世界は、論理や過去の経験だけで回っているわけではありません。
直感を信じ、自分の夢にフォーカスした行動をとる。
そんなことを、私たちは彼女から学ぶべきなのかもしれません。