【心理学】『大衆の反逆』—— 大衆が人を狂わせる

心理学
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スペインの思想家オルテガが1930年に書いた『大衆の反逆』。

本書は、思想の持たない「大衆」のメカニズム、そして、その後のファシズム(独裁主義)脅威を明らかかにしました。

貴族はなぜ弱体化したのか?

1930年、ヨーロッパでは、暴徒を始める大衆たちによって、貴族が弱体化していきました。

自ら努力し、自ら義務を課しそれを乗り越えようとする「貴族」は、「大衆」に対し、対話をしようと呼びかけます。

しかし、大衆は、聞く耳持たず、自分達は多数派、不可能はない、という精神から、暴徒は過激さを増します。

スペシャリストは「大衆化」

「暴徒」や「貴族」といった話は、過去の話。

現代、特に日本には関係ない、と思われるかもしれません。

しかし、そうではありません。

最近の科学は専門性が進み、「〇〇専門家」と言う人が現れます。

全体像を把握せずに、「閉じた領域内での全能感」に浸っているのです。

起業はもちろん、会社経営をしたことがない人たちが、我が物顔で、経営のなんたるかを教える。

大企業で、マーケティングの部門を任されていた人は、「社会には何もわかってない奴がわんさかいる」「無能ばかり」などと言います。

ある分野での専門家は、「俺はすご!天才じゃん!」「みんな雑魚!」「完璧!」などと、どんどん慢心していきます。

このような心理は、「不可能はない」という万能感をもつ大衆となんら変わりません。

おわり

大学の授業などを受けていてよく感じることは、先生方がそれぞれ自分のことを「完璧」だと考えていることです。

「俺は最新の『マーケティング5.0』まで読破した」 「フィリップコトラーと写真撮った! ほら、これ(写真)前から順番に回すから見て」 「日本人は全然ダメ! これだから……はぁ、まぁいいです。次行きます」

先生からの一方通行の授業形態は、小学校から大学にいっても変わらない。

こんな教育を受けた生徒は、みな平均的な人になり、「みんなと同じ」ことをに喜びを感じ、「難しいことは禁止だぜ!」と、大衆化していく。

さまざまな本で、日本のこれからの未来に対する警笛が鳴らされている。

その理由が、「専門家」たちによる、このような教育形態にあると思います。

知性を失い、他者への関心を失い、自ら考えることを放棄した大衆は、恐怖以外の何ものでもありません。

そこで、重要になるのが、「互いを認める」ことです。

必ずしも賛同する必要はありません。

ただ、相手を理解しようとする姿勢はやめないことが重要なのです。

この行為の根底には、「自分こそが正しい」という傲慢さの排除があります。

「相手はどんな風に考え、そのような結論に至ったのか」 「ひょっとしたら自分は間違えているかもしれない」

謙虚であり、学び続けることをやめない。

そして他者に対するリスペクトを常に持ち続ける。

そんなことが、私たちが歴史から学べることなのではないでしょうか。

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ボーナストリビア:「ビフテキ」

ビフテキはビーフステーキの略ではない、というのをご存じでしょうか。 分厚い牛肉のスライスを豪快に焼いたビフテキ。

かつては高級食とされていました。

しかし現在では、飲食店で気軽に食べられるようになりました。

この「大衆」食となったことで、思考が停止、ビフテキをビーフステーキの略語だと、安直に考えている人がいるかもしれません。

しかし、それは少し違います。

ビフテキとは、フランス語でビーフステーキを意味する「ビフテック( bifteck)」が、日本語風に発音されたものなのです。

英語のビーフステーキの略ではないのです。

ただ、面白いことに、ビフテックの語源はややこしいことに、英語のビーフステーキなのです。

つまり、こう言うことです。

英語「ビーフステーキ」→フランス語「ビフテック」→日本語「ビフテキ」

また、さらにいうと、英語の「ビーフ」は、フランス語で牛を意味する「ブッフ」が語源であると言われています。

つまり、フランス語「ブッフ」→英語「ビーフ」→英語「ビーフステーキ」→フランス語「ビフテック」→日本語「ビフテキ」。

調べ、学ぶ姿勢を持ち続けることは、こんな些細なことからも新たな発見を得られるのです。