他者の行動、例えば同僚が仕事で失敗をした時などに、あなたはその理由をどう推測しますか。
ここで、多くの人は、「ミスをした本人に原因がある」と考えます。
人は内面的なものに原因を求める
たとえば、背広姿の格好をした男性が、路上で寝ていたとします。
あなたはこの原因をどのように推測しますか。
このとき、思考パターンは大きく二つに分けることができます。
「本人」に原因があると考えるか、「他者や環境」に原因があると考えるか、です。
ただ、多くの場合、人は「本人」に原因があると考えます。
なぜなら、人は他者の原因を考えるとき、外的な原因より、内的な原因を重視する傾向があるからです。
このことを検証した実験があります。
あなたはカストロ政権を支持しますか?
この実験では、学生を2つのグループに分け、キューバのカストロ政権を支持するかどうかを、エッセイで、書いてもらいます。
グループAは、書き手の意志にまかせ、グループBは、あらかじめ「支持・不支持」を告げられ、そのエッセイを書かせます。
その後、参加者たちは、互いのエッセイを読んでもらい、書き手の本心を推測してもらいます。
もちろん、この段階で、グループにはそれぞれ異なった指示を出していたことも告げます。
すると結果は、「政権を支持する」内容を書いた学生は、書き手の意思(他者)に関係なく、カストロ政権支持派と思われる割合が多かったのです。
つまり、「支持をした」という自分の、本人の意思が、他人の行動の原因を決めてしまったのです。
おわり
「他者」よりも「本人」の意思にフォーカスしてしまうことは、よくあることだと思います。
殺人事件や、炎上騒動、戦争問題などがその例です。
犯人が悪い、当事者が悪い、独裁者が悪い。
人は、他人の行動を、その人を取り巻く環境や、他者ではなく、「本人自身」に原因を帰属させてしまうのです。
おまけ雑学:「おじぎ」の謎!
相手の行動をよく曲解してしまう例として、「頭を下げる」があるともいます。
記者会見で、頭を下げている人を見れば、「ああ、この人悪いことをしたんだぁ」と勝手に思い込んでしまいます。
本人が実際にやったのか、それとも、部下の責任を追ってなのか、はたまた偶然なのか。
色々、可能性はあるはずなのに、テレビをつけ、眩しいシャッターとスーツ姿の人たちが揃って頭を下げていれば、人は、勝手に「本人が悪い」と考えがちです。
さて、話は変わりますが、そもそも、日本人はやたらとお辞儀をします。
小学校の時から、強制的にやらされてきたので、当然といえば当然ですが……。
ですが、そもそも、何でお辞儀をするのでしょうか?
まず、お辞儀の歴史は、「大化の改新」のころまで遡ります。
それまでの日本人といえば、「おじぎ」ではなく「土下座」をするのが一般的でした。
それを大化の改新の際に、中国の立礼を手本にして、目下から目上に対するあいさつの形を、「土下座」から「おじぎ」に変えたのです。
この行為は、頭を下げることで、「無防備な状態だ」ということを暗に、アピールしています。
しかし、こうして大化の改新以降、おじぎが広く民衆に広まったか、といえば、そうではありません。
人々は相変わらず土下座を愛していました。
そこで、天武天皇が「土下座禁止」のおふれを出し、やっと、「おじぎ」は日本中に広まったのです。
「土下座禁止」のおふれって、面白いですよねw