「ホモ・サピエンス」とその他
人類といえば、「ホモ・サピエンス」という認識が一般的です。
ただ7万年に遡れば、そんなことはありません。
「ホモ・サピエンス」以外にも、「ネアンデルタール」や「ホモ・エレクトス」「ホモ・ルドルフェンシス」などといった、たくさんの種類の似た存在がいました。
しかし、ヒトの期限とされるのは、「ホモ・サピエンス」一択です。
なぜか。
それは、他の種がすべて滅び、「ホモ・サピエンス」だけが生き残ったからです。
※ホモとは……「人」を意味します ※ホモ・エレクトス=「二足歩行する」人 ※ホモ・ルドルフェンシス=「器用な」人 ※ホモサピエンス=「考える」人
「認知革命」——嘘がつけたから、私たちがいる
では、なぜ「ホモ・サピエンス」だけが生き残れたのでしょうか。
その理由として本書で取り上げられているのは、彼らが「嘘をつけたから」です。
ネアンデルタールの方々は、目に見えるものしか認識できませんでした。
そのため、ライオンやサメ、毒蛇やサソリなどいった、危険な存在を認識し、はじめて行動を起こせたのです。
一方、「ホモ・サピエンス」は違います。
彼らは、「目に見えないもの」を認識することができました。
言い換えると、「虚構を信じる」ことができたのです。
これはとても大きな違いです。
なぜなら、「嘘を作れる」ということは「集団」を作れる、ということだからです。
山や海には守護神がいる。 私は神様と交信ができる。 未来を予見することができる。
もちろん、中には本当だったこともあるのかもしれません。
ただ、そんなことは、どうでもいいのです。
重要なことは、「嘘を作り」「それを認識できた」ということです。
これらができることで、今までバラバラだった「個」は、同じ認識をもち、「集団」を作ることを可能にしたのです。
「産業革命」——人類の敵は人類になった
「個」が「集」になった認知革命。
その次に起きたのは、「農業革命」でした。
そのひぐらしの狩猟生活から、農業生活へと生活スタイルをチェンジしたのです。
この革命により、食糧は安定し、増加しました。
他にも、リーダーや管理者の登場、定住化、人口増加、ヒエラルキー、宗教など、さまざまものがこの革命と共に生まれました。
そして、人間同士が争う「戦争」が起きたのも、この時期です。
集団が大きくなるにつれ、集団の中でもまた新たな集団が生まれ、違う宗教や文化、哲学を持つ人たちが続出。
このような現代につながる、ありとあらゆる問題の根源には、この「産業革命」にあるのです。
おわり
他にも人類は、宗教革命や科学革命など、さまざまな革命を起こしてきました。
それは無知によるものだったり、パワー・権力によるものだったり、と原因はさまざまです。
しかし、皆さんは、このような話を知ったところで、そこになんの意味がある、と思われるかもしれません。
たがしかしです。
これらを学ぶことには、歴史をただ学ぶこと以上に大きな意義があります。
なぜなら、人類のありとあらゆる問題は、根源ところで、原始時代から何も変わっていないからです。
たとえば、学校のいじめ問題。
これもれっきとした「認知革命」です。
クラスのリーダーが、特定の人物に対し「虚構」を作る。顔がキモいだの、禿げているだの、臭いだのと。
すると、虚構を信じられるヒトは、自ずと、それを信じ、認識し、大きな集団として、その特定の人物を襲います。
このように、「いじめ」は「認知革命」によって生じたのです。
しかしこれもおかしな話です。
そもそも、顔がキモいも、禿げているも、臭いも、すベてその人それぞれの主観によるものです。
顔がキモいと思われても、「カクレモモジリ」みたいに皆に愛される存在かもしれません。 禿げていても、江戸時代の武将はみなクールです。 臭くても、それがマイケルジョーダンが履いてた靴なら、億のお金がつきます。
いや、そもそも究極的に、「キモい」も「禿げ」も「臭い」も全て、人間が勝手に作った「虚構」です。
つまるところ、ただの「言葉」でしかないのです。
そうなってくると、私たちの生きている世界は、虚構の世界で、すべては嘘によって塗り固められている、見たいな結論になるのかもしれません……。
話を戻します。
私たちが人類の歴史を振り返ることの意義は、今の、そしてこれからの人類を「振り返る」ことでもあるのです。
「そんなことを学んで将来なんの意味があんの?」と、高校で微分積分を学んでいる文系高校生と同じ視点にいてはいけないのです。
学ぶことの意義は、いつだって知識とは限りません。
それは時に、知識を転用したり応用したりする力だったり、学ぶことを学ぶ力だったり、新たな可能性を見出す力だったりします。
中でも、今回紹介した「サピエンス全史」は、いかなる立場の人でも一読するに値する、非常に素晴らしい本です。
皆さんもぜひ、一読を!
ボーナストリビア:男は「自分の力を見せること」に快感を覚える!
『サバイバル・ウェディング』という小説でこんな会話があります。
「人間って野生動物に比べたら、圧倒的に走るのが遅いだろう」
返答に困り「はあ」とだけ返した。
「人類の歴史でいえば農業が始まったのなんてつい最近だ。それまではサバンナに出て、牛や鹿の狩りをして生活していた。でもな、そこには自分らよりも足が速く力の強いライオンとかトラとか肉食動物がたくさんいる。襲われるかもしれないのに、どうして男はそんなリスクを冒してまで狩りをしていたかわかるか?」
「それくらいわかりますよ」
「じゃあ、なぜだ?」
「そりゃあ、食糧を確保するためじゃないですか」
「それが違うんだ。最近の研究だと石器時代でも、木の実とか貝を拾っていれば、生きていくための食糧なんて充分だったことがわかってる」
「じゃあ、なんのために狩りをしてたんですか?」
「女にいいところを見せるためだ」
「えーっ、そんなことのためにですか……。体張りすぎじゃないですか」
「それが男なんだ。男は危険な目に遭ってでも自分の力を見せたいし、それを認められることが快感なんだ。だから、革命家になるのもボクサーになるのも男のほうが圧倒的に多いだろ」
男の子はずっと昔から、バカなのかもしれません!