「銃・病原菌・鉄」は関係ない!
「白人は多くのものを発達させ、ニューギニアに持ち込んだのに、私たちニューギニア人は、自分のものと言えるものがないんですか?」
そんな疑問から始まったのが、本書です。
なぜヨーロッパが、他大陸を征服できたのでしょうか。
違いはなんだったのでしょうか。指揮官でしょうか? それとも馬? それとも船? 宗教? 銃や病原菌、鉄?
このどれも正解ではあります。
しかし、最も根本的な理由があります
それは「環境」です。
「ユーラシア大陸」自体が最強だった!
西欧人が特別、身体能力が高く、頭が良く、優れていたわけではありません。
もっと根本的に、ユーラシア大陸に生まれたこと自体が、要因だったのです。
ユーラシア大陸は他の大陸に比べ、東西に伸びる形の大陸となっています。
そのため、人や動物など、あらゆる種の広がりが容易になります。
良い馬は騎馬となり、また、家畜として、農業などにも重要な役割を果たします。
さらに、たくさん食料ができれば、貯蓄などで安住化が進み、同時に階層社会が形成される。そうなると、政治や文字、船、銃や疫病、鉄などとどんどん派生し広がっていく。
このような環境要因によって、西欧人を西欧人たらしめたのです。
「南北」より「東西」が良い理由
ただ大陸の広がりがこのような大きな要因となるなら、別にユーラシア大陸だけではないと思われるかもしれません。
例えば、南北が大きくつながったアメリカ大陸も、同様な体を成していてもいいのではないでしょうか。
しかし、これも違うのです。
広がりが「南北」ではなく「東西」である、という点に大きな意味があるのです。
なぜなら、「緯度」が全然違うからです。
緯度が同じ場所は、一日の長さや、季節の変化、それから風土病や植物の形態まで似通っています。
一方、緯度が異なると、それらの条件がすべてバラバラになってしまいます。
そのため、農業でも文化でもなんでも、伝達に遅れが生じたり、そもそも伝達がなされなかったりするのです。
おわり
「環境がすべてを決める」というのが、今回の結論です。
これは、日常生活でも同じことが言えるのではないでしょうか。
強い環境にいけば強くなり、弱い環境にいけば弱くなる。
また、やらざるを得ない環境、後ろにすぐに死神が迫っている環境に置かれれば、誰でも覚醒するはずです。
環境がその人を作る。
とても学ぶことが多い一冊でした!
ボーナストリビア:日本は左! イギリスは右!
銃や刀などの名残として広がった文化は、今も我々の日常に溶け込んでいます。
例えば、車や自転車。
欧米が右側通行なのに対し、日本は左側通行です。
ハンドルも欧米と日本とで、左右が逆に設置されています。
このような違いは、銃や刀といった昔の武器の違いが、大きな影響を及ぼしています。
お金をたくさん持っている人が上級国民と考えられる現在と違い、日本はかつて「士農工商」、つまり武士が最も偉いとされていました。
そんな帯刀した武士が歩くとき、互いの刀がぶつからないようにしなくてはなりません。
刀は通常、左側にさします。ので、ある時も互いに、左側を通っていたというわけです。
これは、また、いざという時に、刀を抜きやすいように、という配慮もありました。
(※武士だけでなく、庶民も、旅行中などの時には、追いはぎや山賊対策に、「道中差し」と呼ばれる短剣を持つことを許されていました)
同じ理由で、中世ヨーロッパでも、最初は、左側通行が当たり前でした。
しかし、銃の誕生とともに事情は変わっていきます。
銃の場合は、抜きやすい利き手側、つまり右側を歩いた方が安全となったわけです。
特にアメリカの場合は、歴史の始まりとともに銃が存在していたために右側通行でした。
住むところ環境は違えど、通行の左右が武器に関係しているのは、面白いですね!