「自由とは他者から嫌われる勇気である」
「他人のために生きている人なんていない」
我々の固定観念を根底から覆す名著。
対人関係の悩み、人生の悩みに置いてこれほど役に立つ一冊はそうそうありません。
「哲学者」と「青年」の会話形式によって、本書は平易かつドラマチックにアドラーの教えを学ぶことができます。
さて今回も、そんな本書で中で、特に印象に残ったところを取り上げていきたいを思います。
どうぞ最後までご一読よろしくお願いします。
あなたは「このまま」でいいのか
本書にはこう書かれています。
「もしも幸せを実感できないのであれば、「このまま」でいいはずがない」
「大切なのは、何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」
僕の友達にこんなことを言う人がいます。
「人生なんてクソゲーだ。所詮、金さえあればなんでもできる」
真理かもしれませんね。
「金が全て」は口にはしませんが、誰しもが心の中で持っている考えです。
「クソゲー」というのも、的いている。
頭の良さは、スポーツや身長と同じように、遺伝でほとんど決まるということが「努力不要論」という本に書かれていました。
それにも関わらず、世の中はやはり「頭のいいやつ」「スポーツができるやつ」が成功するイメージがあります。
生まれた瞬間に全てが決まっている。
確かに「クソゲー」かもしれません。
ですが、私たちは「このままではいけない」と言う意識を持っているのもまた真実でしょう。
結局、我々が配られたカードでゲームをするしかない。
ジョーカーを持ってるやつが「強い」とか「弱い」とか言うのではなく、どうやったら、ジョーカーを「手にいれ」また「手放す」ことができるのか。それこそ考えるべきではないでしょうか。
手持ちのカードで、どれだけ楽しめるか。それが人生です。
人生は「クソゲー」だと言える人はそれだけでもう十分に人生を楽しんでいる気がするのは、僕だけでしょうか。
あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」もの
本書ではこう書かれています。
「われわれに必要なものは交換ではなく、更新なのです」
「誰一人として悪事を欲する人はいない」
「『善』という言葉に道徳的な意味はなく、ただ『ためになる』と言う意味の言葉です。一方、「悪」という言葉は、『ためにならない」という意味があります」
過去に取り上げた「人を動かす」でも似たような話が出てきました。
たくさんの人を殺し、明らかに極悪非情の殺人鬼であっても、「自分のことを悪人だと考えている受刑者はほんとどいない」とシン・シン刑務所長は言います。
悪人たちでさえも自分のことを悪人とは思っていないのですから、彼らほど極悪でない我々は尚のことです。
心から「悪=ためにならないこと」をする人はいない。
誰しもが必ず、その時その時で、自分にとって「ためになること」を選択して生きているのです。
「世界を変える」という大きな選択をする人もいれば
「のほほんと生きたい」という平凡な生活を選択する人もいます。
どちらが正解かということではありません。
どちらも「自分で選択している」ということが重要なのです。
「成長」=「ためになること」だと考える人もいれば
「安定」=「ためになること」だと考える人もいる。
このような選択の数々が「今のあなた」を作っています。
「今の幸福なあなた」も
「今の不幸なあなた」も
全て過去の選択の数々によるのです。
今自分が「不幸」だと感じる人は、そう選択してきたからだ、と筆者は言います。
結局、自分の人生に責任を持てるのは自分しかいません。
他人の無責任な意見に従ったところで、梯子を外されるのが関の山です。
あなたは今、自分で「幸福」を選択できていますか?
まとめ
何を得るにも全ては「行動」からです。
そして、その「行動」をするために必要なのが「勇気」であり、「嫌われる勇気」なのです。
「我々が他人のために生きているわけではないように、他人もまた我々のために生きているのはではな」
他人の人生を生きている時間なんてありません。
とにかく「選択」し、「行動」あるのみです。
そのための「勇気」を本書で身につけていただければ幸いです。
それでは最後に、締めの一言を。
「できる者は行い、できない者はできない者に教える」
——バーナード・ショーより
ありがとうございました。