その昔。
1000年前の人たちは、毎日、先の見えない生活をしていました。
現代の我々が、数十年後の年金を心配するように、
当時の彼らは、その日の生活に大きな不安を抱えていました。
自分一人では、何をしたらいいか、わからない。
不安で不安で。みんなはどうしてるのだろう。
誰か隣を歩いてくる人はいないだろうか。
そんな彼らの、大きな支えとなっていたのが、「宗教」という大きな物語です。
たとえば、
空海が行なっていた「同行二人(どうぎょうににん)」。
これは、西国三十三所を、空海と一緒に歩いてめぐるものです。
空海がどっちに進むべきかを示してくれることで、不安と孤独から解消されていったのです。
宗教は英語で「religion」と言いますが、これはもともとラテン語「religio」からきています。
「religio」は「再び繋がる」と言う意味です。
神々から見放された人間が、宗教を信じ、協会に通うことで、安心感と所属欲求、連体感を得ました。
離ればなれだった個人が、宗教を通し、繋がったのです。
では、その日の生存確率がほぼ100%となった現代では、「宗教」は必要ないのでしょうか。
いや、確率が上がっても、格律を必要とするのが我々人類です。
結局、どんなに平和な世の中になっても、そこには必ず不安が付きまといます。
自分に、生きるためのルールとルートを示してくれる人を、我々は求めています。
そして現代のこの不安を解消してくれるのが、「ブランド」である。
「あっちゃんが〇〇と言っている」
「ひろゆきならこうする」
「メンタリストならこう言う」
このような「ブランド」に人生を合わせることで、我々は「再び繋がる」ことができるようになったのです。
宗教は、今や「ビジネス」なのです。
本日の名言
われわれも宗教を欲するが、それは、最も神にふさわしく、最もわれわれのためにつくられた宗教である。一言にしていえば、われわれは神と人間に仕えたいのである。
——ヴォルテール