「ワクチン」という言葉の由来は「雌牛」を意味するラテン語 ”vacca” からきているそうです。
なぜ、「雌牛」なのでしょうか。
この由来は、紀元前200年ごろまでの中国に遡ります。
昔の医師は、天然痘を防ぐために、天然痘のかさぶたの粉末を患者の鼻の中に吹き込んでいたそうです。
医学はもちろん、科学もなかったこの時代に、このような発想に至ったのは、さすが人類と言わざるをえません。
そして、1796年、イギリスの医師エドワード・ジェンナーは、この技術をさらに一歩進めました。
天然痘と近縁であるが、比較的有害作用の少ない「牛痘」をある少年に接種したのです。
そして、少年の病気が治った後で、天然痘ウィルスに晒したところ、少年は健康状態を維持したのです。
このような現象から、ジェンナーは「ワクチン( ”vaccine” )」という言葉を作りました。
「予防」というものが我々にとって、非常に重要な役割であることは誰もが理解しています。
しかし、その重要性を我々が理解できるのは、いつも、「事故後」なのです。
「予防」という言葉は、「予(あらかじ)め防ぐ」と書きますが、残念なことに、これは不可能です。
天然痘やコロナウィルスが生じる前に、本当の意味で「予防」するには、「予測」するしかありません。
そして、もし、仮に、未来を「予測」できて、ウィルスから本当の意味で「予防」できたとして
日常を生きている我々は、そのことを理解することはありません。
今私たちが生きている世界は、誰かが、ある大事件を未然に防いでくれたお陰かもしれません。
しかし、そんな「非日常」が我々の「日常」なのです。
我々が今生きていられるのは
多くの犠牲を払い、それによって成り立った「予防」という名の「防空壕」の中で、生活しているからなのかもしれません。
ああ、素晴らしきかな、人生。
本日の名言
「一日まさりになじめば、人ほどかはいらしき者はなし」
——井原西鶴が『好色二代男』のなかで
(参考文献)