鎌倉時代初期の禅僧、道元は次のように言っています。
「瞑想を行い、そこから様々な功徳を得ている人は数知れない。あまりにも単純な方法だからと言って、その可能性を疑ってはならない。今、自分が存在している場所で真実を見つけることができないと言うなら、一体どこに真実があると言うのだろう。
人生を短く、何びとも次の瞬間が何をもたらすかを知ることができない。心を養いなさい。その機会はいくらでも訪れる。やがて素晴らしい知恵を発見することになるだろう。そうすれば、今度はその知恵を他の人々と十分に分かち合い、彼らに幸福と平和を与えることができる」
この世の中に、ストレスに対する「ワクチン」や、心の傷を癒す「塗り薬」は存在しません。
癒しや内的な安定を得るには、自分自身が意識的に努力するしかないのです。
言い換えれば、自分を悩ませているストレスや痛みとうまく付き合っていく方法を学んでいかなければならないのです。
瞑想はその一つの方法と言えます。
『マインドフルネス ストレス低減法』という本によると、
「瞑想とは、意識的に心や体を観察して、今という瞬間から次の瞬間に向けて体験したことを、あるがままのものとして受け入れるプロセス」なのです。
瞑想にとって、重要なのは、「ありのままを受け入れる」ということです。
瞑想は決して、「問題の答えを発見するもの」ではありません。むしろ、「問題をよりはっきりと見るためのもの」なのです。
問題を切り抜ける唯一の方法は、その問題に「正面から取り組む」ということだけです。
まずは、見て見ぬ振りをしようとしている自分をしっかりと見つめることが大切です。
(追伸 〜具体的なやり方〜)
具体的な瞑想のやり方についてですが、最初は、ただ目をつぶって「ぼーっ」とすればいいと思います。
自分の注意力を集中させて、俯瞰的に自分を見るイメージが持ってれば、さらにいいのですが、まず、それよりも何よりも、「ぼーっ」とすることが大切です。
我々は、一日のうち「今」に集中している時間がほとんどありません。
「今日はあの映画見よう」
「昨日は大変だったなぁ」
「明日のスピーチめんどくさい」
などと、殆どの時間を「未来」か「過去」を考えることに費やしています。
それに今は、スマホがあります。
トイレに行くときも、お風呂に入るときも、満員電車に乗るときも、いつでも一緒にいます。
この文明の利器により、我々はさらに、「今」に集中するということが難しくなっています。
ですから、まず、瞑想の第一歩として、目をつぶって「ぼーっ」とするということ、つまり、「何もしない」ことを学んでください。
時間や、やり方など、気にせず、ただ目を瞑るだけです。
試しに、今度、トイレに行くときは、スマホを机の上に置き、トイレのなかでは、目をつぶって、「今」の「ありのまま」の自分を体感してください。
きっと、新しい発見があるはずです。
本日の名言
「人間はみな、発見の航海の途上にある探究者である」
——エマーソン (アメリカの思想家)
(参考文献)