【環境】自我と非我の境界!—— 統合失調症に苦しまない人たちがいる

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統合失調症

多くの精神科医は、統合失調症を「自我の保てなくなる病」と表現しています。

つまり、「自分」と「そうでないもの」の区別ができなくなるのが、この病の恐ろしいところです。

自我と非我の間にあるはずの「壁」みたいなものに、大きな穴が空いたイメージで、そこからドボドボと自我が流れ出してしまっているのです。

●テレビから聞こえる笑い声が、自分を嘲笑っている気がする

●エアコンのかすかな作動音がヒソヒソと自分の噂話をしている

●新聞を読んでも、まだ形になっていない自分の考えがそこにあり、考えが盗まれていると感じる

●何かを考えようとしても、考えはまとまらないうちに「自分」の外へながれ出てしまう

このような症状が、統合失調症です。

統合失調症に苦しまない人たちがいる

統合失調症の有病率はおよそ 100人に 1人と言われています。

また、日本における患者数は約 100万人です。

いまだ明確な原因はわからず、現在はおもに薬(ドーパミン神経を抑える)と心理療法を組み合わせた治療が行われています。

また、メディアでは、犯罪を犯した統合失調症患が精神科病棟に入院させられるのを、よく報じられます。

そのため、世間では「統合失調症=危険」というイメージがこべりついてしまっています。

しかし、この「統合失調症=危険」とする考え方とは逆に、「統合失調症=良いもの」と捉える国があることをご存知でしょうか?

苦しむのは先進国だけ!

2014年、スタンフォード大学の人類学者ターニャ・ラーマンが、興味深い研究を発表しました。

内容は、統合失調を発症したあとでも、症状に苦しまない人たちが存在するというものです。

この研究では、アメリカ、ガーナ、インドで統合失調症の患者にインタビューを行い、「頭の〝声〟は何を言ってくるか?」や「話しかけてくるのは誰か?」などを確認しました。

そして、それらすべての回答をまとめ、国ごとによる幻聴の差を明らかにしたのです。

すると、興味深い事がわかりました。

まず、アメリカ人を襲う幻聴は、日本と同じく、暴言や憎しみといった、ネガティブな言葉がほとんどでした。

一方、ガーナやインドの農村部に住む者が聞く幻聴は、「正しく生きよ」や「良い日が来る」とポジティブな内容で、声も穏やかだったことが分かっています。

そのため、患者たちは統合失調症でも日常生活を損ないにくく、症状の回復スピードも早い傾向がありました。

幻聴は悪魔か、天使か

アメリカや日本では、幻聴を「狂気」や「異常なもの」「病気のひとつ」とみなし、治さなければならない問題と考えます。

一方で、アフリカやインドの田舎町では幻聴を「神の言葉」や「先祖の伝言」として解釈され、良いものとされています。

そして、このような幻聴の内容がときと場所によって変わる事実は、歴史を振り返ると多々あります。

例えば、1980年代に複数の人類学者が行ったフィールドワークによれば、アメリカ人(メキシコ系)は幻聴を「先祖の言葉」と捉え、まわりの人たちも統合失調症に寛容と同情の態度を抱いていました。

また別の研究では、 1930年代には「他人を愛せ」や「主に寄り添え」などと優しい幻聴の報告が多かったことも報告されています。

それが現代のようになってしまった理由としては、まだ定かではありません。

しかしそこには、共同体のつながりが濃かったことと、個人主義的な思想が強まったこととが、無関係ではないはずです。

おわり

もちろん、「統合失調症になれば、アフリカに行こう!」と言いたいわけではありません。

住む場所だけがそれを解決してくれるとは思っていません。

それまでの経験や、それまでの人間関係、それまでの環境など、その他諸々が重なって起きた状況です。

そう簡単に治るはずはありません。

ただ、人には「結界」みたいなものがある、ということをわかってほしいのです。

「私」という境界や、「私たち」という境界、「あなた」という境界や、「あなたたち」という境界。

私たちはいつだって、いろんな境界を行き来しながら生きているのです。

そして、健康な人は、その境界がちょうどいい塩梅な人、統合失調症の人は、その境界に大きな穴が開いてしまった人、引きこもりの人は、硬く高すぎる境界を作った人。

このように、私たちの状況はいつだって、境界をもって説明できるのです。

そして、苦しい状況にある人は、たいてい、堅すぎる境界を持っているか、もしくは弱すぎる境界を持っているかのどちらかです。

ですから私たちがすべきなのは、そのような状況にある人たちの境界を、少しでも弱く、また少しでも強くしてあげることなのではないでしょうか。

ITの復旧で、ただでさえ、この境界が複雑化している昨今。

いま一度、自分やその周りにいる人たちの境界を振り返る、きっかけとなれば幸いです。

ボーナストリビア:大陸移動説

日本やアメリカ、アフリカなどと、現代では色々な国名や地域が存在します。

しかし、その昔は、全ては一つの島であったというのが通説です。

それが時代と共に分裂したり、移動したりして現代の形になった。

それがアルフレッド・ウェゲナーが唱えた「大陸移動説」です。

ウェゲナーは、この説を地図を見ていたときに、らたまたま、「あれ、コレくっつきそうじゃね?」と、アフリカの西側と南米の東側がパズルのように合いそうだと思ったのが始まりだと言われています。

もちろん当時の人たちからしたら、「ありえない!」の一言だったに違いありません。

「私たちが一つなわけがない!」と。

でも、一つだった。

そもそも、大陸だけでなく、人も動物も自然も環境も宇宙もすへて、最初は、一つでした。

そして、それが「移動」し、今になったのです。

「移動」とは、変化であり、進化です。

そしてその進化もいきすぎると、退化になります。

そしてまた、一つになって、同じことを繰り返す。

これが、本当の意味での「移動説」なのではないでしょうか。

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