本日は、「エデンの園から追放された、アダムとイヴのその後」についてです。
2人の子供
エデンの園園から追放されたアダムとイヴは、その後、2人の子をもうけました。
長男の「カイン」と、次男の「アベル」です。
それぞれ、カインは農夫に、アベルは羊飼いになりました。
2人の貢ぎ物
ある日、2人は神様に貢ぎ物を与えることにしました。
貢ぎ物は、それぞれの職にちなんだものでした。
カインは畑で取れた作物を供えました。アベルは、自分が飼っている羊を殺し、それを祭壇の上で燃やしました。
両者とも、自分なりに良いことをしているつもりでした。
しかし、神様はなぜか、自分で育てた作物をお供え物にしたカインにだけは、まったく喜びませんでした。
カエルの子はカエル
カインは当然、怒ります。
ふつうに考えて、動物の死骸よりも、自分が一から育てた作物を供える方が、神様は喜ぶと思っていたからです。
神様は、弟にだけエコ贔屓していると感じたカインは、なんと、アベルを殺してしまいます。
そのことを知った神様は、すぐ「弟はどうした?」とカインに尋ねます。
するとカインは、「私は弟の番人ではないので知りません」と、怯えながら、そう答えたのでした。
あろうことか、カインは、なんと嘘をついたのです。アダムとイヴがした責任転嫁を、カインもしたのです。
7倍の復讐
罪人であるアダムたちの遺伝子を受け継いだカイン。
彼は、両親の元を離れ、別の地で生きていくことになりました。ただ、だからといって、神はカインを見捨てたわけではありません。
神は、カインに対し、一つの印をつけ、一つの約束事を決めました。
それは「カインを殺すものは、誰でも、7倍の復讐を受ける」というものです。つまり、カインを殺せば、神の鉄槌がくだる、ということです。
(※聖書には「7」という数字が度々登場し、それは、「神の定め」を意味する)
おわり
現代でも、「カイン」は「殺人者」の代名詞として扱われています。
例えば、『るろうに剣心』の頬にある十字傷は、カインにつけられた印がモチーフになっているという説があります。
他にも、「兄弟の関係において、親の愛情を差別的に受けた場合、それによって苦しんだ原体験は、兄弟以外の関係にも投影されていく」という「カインコンプレックス(嫉妬)」もその一つです。
また、その後のカインの人生は、というと。
カインは子孫を作り、それも皆有能でした。二代目は金属を加工する技術を持ち、三代目は、楽器を使って音楽を奏でる才を持っていました。さらに、町を建設する知性を持った子供も生まれ、どんどん繁栄していきました。
そして、やがてカインは、一族として、どんどん大きくなっていくのでした。
すると事態は一変。非道で残忍、支配欲の強い存在となってしまいました。そうして、神に逆らうようになったカイン一族は、その後、ノアの大洪水によって、滅びていくのでした。
ボーナストリビア:カインはなぜ捧げ物を受け取らなかった
さて、話は戻り、「カインの捧げ物を神様が受け取らなかった件」についてです。
これは、普通に考えたら、変な話です。人間目線で考えれば、動物の死骸より、汗水流して作った作物をもらった方が、嬉しいと感じるはずです。
なのに、なぜ、神様は喜ばなかったのでしょうか?
それは、「血を流すことなしに、罪の赦しはありえない」という考え方が根底にあるからです。
アダムとイヴが起こした例の事件の後、両名がエデンの園から追放された時、神は、2人に動物の皮で作った衣を着せました。
そしてこれは、神が動物を殺し、その皮を剥いだ、はじめての時でした。
このことから、「人は、罪を犯したら、命をもって償わなければならない」としたのです。
もちろん、この教えを、アダムとイヴは子供達にも告げました。
「私たちは罪人。だから、神にささげ物をする時は、必ず、命を差し出さなければならない。それこそが、罪人である私たちと、神をつなぐ印だから」と。
アベルはこの教えを守り、カインは守らなかった。
それが、「カインの貢物を喜ばなかった件」の背景です。
余談になりますが、最後イエス・キリストが十字架で死を迎える時、キリストは人類の罪を赦す代償として、自らの命をもって、その代償としたのでした。
(参考)