稲作以前は「Uri」が私たちを救った!
農業が行われる以前、人類は狩猟・採集をすることで生きてきました。
なかでも、デンプンは生きていく上で、とても重要でしたので、「 Uri」と呼ばれる食材をよく口にしていました。
具体的には、 クリ( Kuri)、クルミ( Kurumi)、ユリの球根などの食材のことです。
日本人と「サトイモ」
そして日本では、稲作が伝来する以前、「サトイモ」がもっとも重要な食糧とされていました。
かなり古い時代から、このサトイモは日本の大陸へと伝わってきました。稲作が始まって以降も、私たちに親しまれる食べ物として、残り続けました。
たとえば、おせち料理や、お雑煮などで、サトイモが使われているのも、このためです。
あるいは、中秋の名月には、コメの粉で作った月見団子を供える一方で、芋名月と言ってサトイモを供える風習も残っています。
さらに、納豆、餅、もずく、とろろ、なめこなど、外国人が苦手とするネバネバした食感を日本人が好むのは、サトイモの遠い記憶があるからだとさえ言われています。
おわり
そしてやがて、日本にも「サトイモ」にかわる食べ物として、「お米」が登場するようになります。
デンプンという点では、やはり「お米」に勝る食べ物はないのです。
ボーナストリビア:新潟が人口トップだった時代もあった⁉︎
現代で、人口が最も多い国といえば、「東京都」です。
しかし、 1872(明治 5)年に行なわれた第 1回の人口統計で、全国 1位の座を勝ち取ったのは「広島県」でした。
そして、1888(明治 21)年の調査では「新潟県」が 1位となったのです。
現代ではあり得ないことです。
そして、その理由としては、当時は「稲作」が盛んで農業従事者が多かったこと、日本海側に大阪と北海道を結ぶ航路が通っていたことなどが挙げられます。
時代が、縄文だろうと、明治だろうと、人は「お米」というデンプンに惹かれてしまう生き物なのかもしれません。
ちなみに、東京が初めて 1位となったのは、そのもっと後、 1897(明治 30)年のことでした。
(参考)