モーセ逃亡
モーセが成人した頃、民への扱いはますます酷くなっていました。
もはや、人を家畜か何かと同じように扱っていたのです。
そんな現状を、モーセは苛立たしく思うと同時に、なんとかしたいと考えていました。
ある日のことです。
モーセが建設現場に出ていくと、年老いた老人が、エジプト人の監督官に鞭で叩いている現場を目撃します。老人はただひたすら、叩かれ、今にも死にそうな状態でした。
それを見たモーセは、頭に血が上り、その監督官を殺してしまいます。そして、近くにあった穴に死体を放り込み、埋めてしまったのです。
モーセは、5歳までヨケベドの手によって育てられました。そのため、イスラエル人としてのアイデンティティを強く感じていたのです。
しかし、この出来事は、当然、ファラオの耳に入ります。
そして、身の危険を感じたモーセは、なんとエジプトを逃げ出したのです。
幕末で言う「脱藩」です!
シナイ半島
モーセは、エジプトを出て、逃げ延びた場所は、「シナイ半島」という場所でした。
シナイ半島には、遊牧民族である「ミディアン人」が住んでいました。
彼らは、遊牧民ですので、羊や牛、馬などを飼っており、その分、水や草といった食糧問題で度々争っていました。
ある日、モーセは井戸に腰を下ろしていると、女性の羊飼い達がやってきて、羊に水を飲ませようとやってきました。
しかし、そこに別の羊飼い達がやってきて、女性達の邪魔をし始めたのです。
争いを嫌うモーセは毅然と立ち上がり、持っていた材を乱暴なグループに振る舞い、追い払ったのです。
助けられた女性達はミディアン人エトロの娘で、モーセにとてもとても感謝しました。
そこで、彼女たちは、モーセを父の元に連れていきこのことを伝えました。
話を聞いたエトロはモーセを気に入り、自分の家族と共に暮らすよういました。
そして、モーセは娘の一人「ツィポラ」と結婚し、本当の家族となるのでした。
おわり
モーセのこれからの日々は、とても幸せなものでした。
結婚し、遊牧民として充実した人生を送っていたのです。
そして、月日は流れ、40年後。モーセはある転機を迎えます。そこからモーセの人生はガラリと一変!
次回もお楽しみに!
ボーナストリビア:富士山は私有地!
みなさんは、「富士山の山頂は私有地」ということをご存知でしょうか?
2013(平成 25)年には世界文化遺産に登録された富士山。標高は、3,776 mで、日本一の高い山です。
ですが、意外なことにその山頂は国有地ではなかったのです。
8合目以上のほとんどの土地(※)は、全国の浅間神社の総本山「富士山本宮浅間大社」の私有地だったのです。
(※具体的には、8合目以上の土地 400万平方メートルのうち、富士山測候所跡や登山道などを除く、約 385万平方メートルの土地)
もともと、富士山山頂は浅間大社が境内として管理していた。しかし、明治時代に国有地に編入されたのです。
ただ、その後、新憲法施行により、宗教活動に必要な土地は無償譲渡され、再び浅間大社のものとなるかと思いきや、譲渡は、一部しか認められませんでした。
神社側がそのことを、 1957(昭和 32)年に提訴。
当然、法律上、神社側が正しいので、 1974(昭和 49)年の最高裁判決で浅間大社の私有地として決定し、 2004(平成 16)年に返還されたのでした。
こうして今も、人様の土地に土足で踏み込ませていただいているわけです。
そう考えると、登山するのに、お金がかかるのは、当然といえるのかもしれません。