本書の著者は、中野信子(なかの のぶこ)さんです。
彼女は、脳科学者・医学博士で、2008年から2010年まで、フランス国立研究所にて博士研究員として勤務していました。
脳や心理学をテーマに研究や執筆の活動を精力的に行い、科学の視点から人間社会で起こりうる現象および人物を読み解く語り口に定評がある方です。
そんな彼女が書かれた著書「努力不要論」は、今まで漠然としていた「努力」という言葉・行為について、人間の脳や心理の面から紐解いていきます。
「努力が報われるかどうか知りたい」
「自分は今、努力をしているが苦しいばかりで全然成果が出ない」
「努力と才能、どちらが大切なんだろうか?」
「努力」について悩んでいる方はぜひ一読してみください。
努力する人は野蛮である
筆者は、
「努力することには心理的な罠が潜んでいる」と述べています。
例えば「お金」。
給料が上がらなければ、「お金」が手に入らない。
「お金」は、税金・保険・年金にほとんどが持ってかれ、
「お金」が少なければ、結婚すらできない。
「自分が満足に稼げないのは努力が足りないからだ」
我々は普通このように考えます。
「努力すればなんとかなる」
「努力が足りないからだ」
皆さんはこのような心理に陥りがちではないでしょうか?
筆者は、「これはブラック企業なんかでよく使われる洗脳マジックである」と述べています。
「頑張れば報われる」
「君の努力が報われないのは、君の努力が足りないからだ」
このように、努力を美化することによって、企業や会社はあなたを搾取しようとしているのです。
「やりがい」という魔法の言葉を振りかざせば彼らは、まるで囚われたかのように、仕事に没頭してくれる。
これをやっといてくれと頼めば、残業代を払わなくても喜んでやってくれる。
真面目で、努力家の社員というのは、会社にとってメリットしかありません。
努力せずに生きよう
人が持っている能力は、
「生まれつきの持っている才能でどれぐらい決まるのか」
「努力でどれくらい変えることができるのか」
脳科学者である筆者は、脳のことを研究する中で上記のようなことを研究してきたそうです。
そんな筆者は本書でこう述べます。
「無意味な努力を重ねさせられ、その上搾取されてしまっている人が多い」
「見栄を張るため」「自分の存在意義を認めてもらうため」
このような理由で努力を続けていることになんの意味もありません。
いいように使われるだけです。
「努力せずに生きていこう」
これが本書で筆者が特に重きを置いている考え方です。
努力は報われるのか
「努力が報われる」と考えている人の多くは、「報われた成功体験」を持っている人が大半です。
一方「努力は報われない」と答える人の多くは、「挫折ばかり味わってきた」人が大半です。
よく「努力すれば成功できる」という言う人がいますが、これは危険だと筆者は述べています。
「努力したから成功できた」というのは、ある程度その人のもともとの能力自体に左右される面が大きいからです。
これは、「自分が宝くじを当てたんだから、あなたも当たるよ」といっているようなものです。
「努力は報われるのか」
この議論に対する筆者の答えは、「半分本当」で「半分嘘」と言う考えだそうです。
努力をすることは重要です。
なぜなら、我々の脳や筋肉はとても優秀だからです。
努力すれば、それに合わせて脳や筋肉も働いてくれます。
ですが、優秀であるがゆえに、努力をせずに脳をあまり使わないことばかりしていると、脳はその分だけ楽をしようとします。
「覚えないでいいことは覚えない」「考えなくていいことは考えない」
使わない機能については、どんどんリストラしていきます。
このように、「努力」と言う負荷をかけてあげることで、脳や筋肉は自分が持っている可能性の最大限まで力を引き出せるようになるのです。
こういった意味で筆者は「半分本当」と言う立場をとるわけです。
一方で、人ぞれぞれの潜在能力はあらかじめ決められています。
走るのが嫌いな人がどんなに努力しても、ウサインボルトには絶対勝てないように、努力にも限度というものがあるのです。
このような意味で、筆者は「半分嘘」と言う立場をとるわけです。
最後に
以上で述べていたのように、大半の人の努力は才能(潜在能力)によって決まります。
ですからまず我々がやるべきことは、
「自分の才能はなんなのか」
それを見極めることから始めるべきだと述べられています。
本書では才能の見つけ方として幾つかの方法が紹介されています。
その一つが、「自分の評価軸を判断する」というやり方です。
例えば「キャラクターダンサー」を例にとりましょう。
「キャラクターダンサー」とは、主役の脇で踊っている人たちのことです。
確かに、「主役になりたい」と思い、そのために必死に努力することも大切かもしれません。
ですが、その努力が必ず報われるとは限りません。
そもそものスタイルであったり、顔であったりが、主役としての重要な要素である場合、いくら努力しても報われる可能性は非常に低いでしょう。
ですが、自分が主役ではなく、「キャラクターダンサー」の方が向いているという評価軸を持てば、それはその人にあった、才能にあった努力をしていると言えます。
周りの判断ではなく、自分の判断で物事を考えることが何よりも大切です。
「努力」が報われるかどうかと言うのは、自分にあった行動をしたかどうかで決まります。
誰かとの比較で決めるのではなく、自分の価値基準を持つことこそが何よりも重要なことなのだなと、感じました。
「努力が報われない」のではありません。
「苦労が報われない」のです。