【仏教】人生は、「苦」で当たり前! 「苦」が人生のデフォルトなのだ!

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人は「生まれつきネガティブ」!

「人生は苦である」

ゴータマ・ブッダ(仏教の開祖)は、 2500年前にそう言い切りました。

この世は苦しいことばかりで、最後に待つのは死。

これこそが人生の真実である、とブッダは言ったのです。

「苦」とは何か

ブッダの言葉を聞いて、「苦しいことばかりではない」と考える人も多いと思います。

しかし、ブッダのいう「苦」と、私たちが思い浮かべる「苦」に大きな違いがあります。

古代インドでは「苦( dukkha)」を、「虚しさ」、「不快さ」、「思い通りにいかないことへの苛立ち」などを含む幅広い概念であると考えていました。

そのため、人生の絶望や苦悩のように大げさな状態だけを意味していないのです。

どんなに好きな仕事をしていても、退屈感を感じることがあります。

どんなにお金をもらえても、めんどくさいと感じることがあります。

どんなに自由でも、何か物足りなさを感じることがあります。

ブッタはこれらを総称して、「苦」と名付けたのです。

おわり

「のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする」(夏目漱石『吾輩は猫である』より)

隣の芝生が青く見えるように、自分よりも他人に対し、嫉妬心や羨望、呑気そう眼差しを向けてしまうことも多々あると思います。

た だ、どんな人にもそれなりの悩みが「苦」があるもので……。

「人生は不満や不快の連続だ」と思うのではなく、「不満や不快が人生のデフォルトだ」と考えるのです。

そんな「苦」が当たり前、という思考を持つことで、いくばくか、これまでの「苦」が軽くなるのではないでしょうか。

ボーナストリビア:墓跡に水をかけるのは、「苦」を癒すため!

お墓参りでは、墓石に水をかけたり、お酒をかけたりするのが一般的です。

墓石の汚れを落とすや、清めるなどといった意味もあります。

ですが、あの行為自体にはそれ以上の、もっと重要な意味があるのをご存知でしょうか?

これは、仏教の教えと深く関わっています。

仏教では、人は死後、六つの世界(天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)を輪廻していると考えられています。

このうち「餓鬼界」に堕ちると、絶えず飢えと渇きに苦しむことになるそうです。

「もしかしたら、あの人はまだ”餓鬼界”で渇きと戦っているかもしれない!」

そんな渇きを癒してもらうために、墓石に水をかけるようになったといいます。

今度、お墓参りする機会がありました、たくさんかけてあげてくださいね!

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