私たちがお金を払う理由はなんでしょうか?
生活を快適にするため。仕事を効率化するため。楽をするため。
このような理由から、商品やサービスに価値をつけていたと思います。
ですが現代の世の中では、我々が価値をおくのは、商品やサービスといった「結果」だけではなく、「経過」にも価値をおくようになったと思います。
これはそもそも当然で、例えば、自分の身近な家族や、友人が本を出版したら、多分周りの多くの者たちは、その本の内容が特別面白くなくても、彼の本を買うはずです。
これは彼自身の人生を知っているからです。彼の努力や経験、価値などを知っているので、その人たちはお金を払うのです。
つまり、彼のそれまでに築き上げてきた「プロセス」にお金を払っているのです。
それが「プロセスエコノミー」です。
現代では、上記のようなことが、SNSの登場によって、より範囲が拡大しました。
それまでは「プロセス・ファミリー」であったのが、「プロセス・エコノミー」になったのです。
家族や友人、恋人でなくても、その自分の「プロセス」を誰しもが知ることができるようになり、それが「価値」を生み出す。
(参考文献)
プロセスエコノミー あなたの物語が価値になる (幻冬舎単行本)
空海のビジネス
「プロセスエコノミー」は、他に「ファンビジネス」「信者ビジネス」などさまざまな言い方ができます。
そして、このビジネスは現代に限った話ではありません。
大昔では、「宗教」という名前でもありました。
例えば、平安時代初期の僧「空海」。
彼の創設した真言宗の中に、「同行二人」という思想があります。
これは、「西国三十三所 の 霊場 を歩いて巡礼する」というものなのですが、この巡礼を行うとき、空海も一緒に隣を歩いてくれるというものです。
一人で歩けば、右に進むべきなのか左に進むべきかわからない。でも、空海が寄り添って歩いてくれれば、進むべき道を勝手に示してくれる。
「宗教」は、土台に「大きな物語」があります。
つまり「プロセス」が、あらかじめ示されているのです。
それを信じ、従うことで、孤独から解放され、不安がなくなり、所属欲求も満たされる。
人々を「解放」してくれるのです。
このようなビジネスは、現代でもよく使われます。
ある有名人の物語、プロセスを知ることで、商品の質ではなく、その思想やメッセージ事態に共鳴し、商品を買ったり、応援したりするビジネスです。
我々はつながりたい
『プロセスエコノミー あなたの物語が価値になる (幻冬舎単行本)』の著者が、2015年にTwitter社に遊びに行ったときに「世界の中で日本だけが一人で複数のアカウントを使い分ける人が多いんだけど、日本は、人と人とのつながりが強く同調圧力が高いから、ネットの中ではリアルの人格とは別の人格を作って、自分の好きを探求しやすくするんだ」と言われたそうです。
そして、2018年になると、今度は「アメリカでも複数アカウントを使い分ける若者が増えてきた」というのです。
ネットに繋がっていることが当たり前になったことで、繋がっていないと不安で、取り残された気持ちになってしまうようになります。これは「FOMO(Fear Of Missing Out)」というSNS病です。
「見えないつながり」に恐怖を持つようになった現代。
「隣の家に住む人の名前」を知らなくても、「ネット知り合いのIPアドレス」を知らないと不安になる現在。
最初に出会う他人は「近所の公園にある砂場」ではなく「マインクラフト」と言われる今。
もし、自分がその繋がりの中心になれたら。
いや、自分の物語を、自分のプロセスを世の中に発信できたら、それは大きなエコノミーになります。
「不足がないこと」による「不足」
日本に住む多くの人たちは、「不足がない」生活を送っていることだと思います。
電子レンジはもちろん、冷蔵庫、温かい水が出るシャワー、ベッド。
またさらに、スマートロックや、自動で開くカーテン、音声でテレビやエアコンをつけるなど、さらに、「不足」が無くなっています。
そして未来も同様に、さらに「不足」がなくなっていきます。
例えば、自動運転や、AIロボットの家政婦、住居のサブスクなど。
それから、食べ物も不足がなくなります。
例えば、我々が食べている肉は、 20 種類のアミノ酸の組み合わせでできているアミノ酸の集合体に過ぎません。
ということは、家にある3Dプリンターで肉を印刷することだって物理的には可能になるのです。
また、すでに、イスラエルでは、甘いタンパク質が人工的に開発され、シンガポールでも、鶏の細胞を培養機で育てて作った肉を食べられるレストランがあります。
世の中がどんどん発展し、「不足」がなくなっていったら、我々は一体どうなるのでしょうか。
どこにお金を使うようになるのでしょうか。
多分、そのような時代になると、我々が求めるものは「達成」や「快楽」といった《リザルト》ではなく、「良好な人間関係」「意義」「没頭」など、《プロセス》に価値を感じるようになるはずです。
高いお金を払ってフォアグラを食べるより、隣で笑顔にしている人を大切にするはずです。
大金を叩いて居酒屋でお札をばら撒くより、自己投資をするはずです。
ミシュランで食事をするより、自分で料理をすることに価値を感じるようになるはずです。
「近代マーケティングの父」と言われるフィリップ・コトラーは、マーケティングを「機能的価値訴求」「差異価値訴求」「参加価値訴求」「共創価値」の4段階で考えました。
最後の段階である「共創価値」の段階は、「すべてのサービスは自分が自分らしくなるためにある」という段階です。
受動的な消費者に甘んじるのではなく、消費者もメーカーの活動に参加し、同じ未来を一緒に作っていく段階。
全ての「不足」が仮に取り除かれた、地球は、人間はどうなるのでしょうか。
きっと「不足」がないことを「不足」だと思うはずです。
ですから、すでに完璧な人物や商品より、「不足」のある人物や商品に人は価値を見出すようになるのかもしれません。
「不足」こそがその人の価値になるのです。