十戒
これまで、民は奴隷として生きてきました。そのため、生きる指針や決まり事といったものがありません。
そこで神はモーセに「十戒」という戒めを与えました。
そうすることで、神は民たちに、正しい生き方を説いたのです。
おわり
十戒のように、神から与えられた命令や掟のことを「律法」と言います。
律法は、人の行動を制限する「法律」とは異なり、「人の心を律する法」です。
この律法が、これからのイスラエル人のアイデンティティとなり、生活の規範となりました。
ボーナストリビア:十の戒め
では具体的に、十戒の中身について、見ていきます。
①あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
ユダヤ教とキリスト教が「一神教」と呼ばれる由縁となる戒めです。
神はただ1人しかおらず、もし他の神を信じれば、それは罪となるのです。
②あなたはいかなる像も造ってはならない。
像を作り、それに礼拝する行為は「偶像礼拝」とされ、大きな罪になります。
ただ、偶像礼拝は一見、神の立場からしたら良いことのように思えます。
しかし、神はそうとは思わないのです。
なぜなら、人間は神の姿を実際に見たことがないからです。
見たことのない神を作るとは、つまり偽者の神を作るということです。
※聖書では、イスラエルは「花嫁」として描かれています。神はそれほどまでにイスラエルを愛しているのです。にもかかわらず、偽の神を礼拝するなら、それは不倫と同じ行為になってしまうわけです。
③あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
「それは、マジ神!」と、神の名前を乱用してはならない、ということです。
※英語では、驚いた時に「Oh my god!(おお、神よ!)」と言います。しかし、英語圏のクリスチャンはこの言葉を使いません。
④安息日を心に留め、これを聖別(聖なる日と)せよ。
働くの六日間。七日目は、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない、としました。
また当時、休日という概念はありませんでした。
あくまで「安息日」として、家族と落ち着いた時間を過ごしていたのです。
⑤あなたの父母を敬え。
当時、「家族」という組織の重要度は高くありませんでした。
王家では殺し合いが当たり前。一般家庭でも、長男の地位や名誉を巡っての争いが絶えませんでした。
そこで、神は、まず家族の柱である両親を敬うようにさせました。
与えられた土地で長生きしたければ、両親を敬うようにと、定めたのです。
こうすることで、曖昧だった家族という概念に秩序を与えたのでした。
⑥殺してはならない。
人を殺してはならない。
人の命を殺すことが、軽く扱われていた時代。
殺人は悪である、という概念をしっかりと定めたのです。
⑦姦淫してはならない。
当時、家族の関係が希薄だったため、性的にも奔放でした。不倫は日常茶飯事、という状況だったのです。
そこで神は、家族の関係を固くするのと同様に、この戒めを与えました。
一見、これは重要な戒めには思えません。
しかし、この戒めは、思った以上に社会をより良くしてくれました。
淫らな関係がなくなった分、家族で愛情を育む時間が増え、子供も健全に成長するようになったのです。
⑧盗んではならない。
盗んではいけない。
この、当然の価値観も、旧約聖書が初めだと、されています。
神は、その人が生きる上で必要なものを与えています。それを盗むことは、あってはならないのです。
⑨隣人に関して偽証してはならない。
これは公正な裁判を行うためです。
神は罪を裁く存在にあります。ですから、その神聖な場で、嘘をつくという行為は万死に値します。
また、神が行う裁判は、必ずしも、罰を与えることだけではありません。
正しい行いをしたものには、時に、良い報いを与えることもあります。
そのため、この戒めは、より正しい行いをするための動機づけでもあったのです。
※日本でも、偽証罪は3か月から、10 年以上の懲役という、重い刑罰が適用されます。
⑩隣人の家を欲してはならない。
「隣人の家」とはつまり、隣人の妻、男女の奴隷、牛、ロバなどといった、隣人のもの一切を指します。
これは余計なものを欲しがってはいけない、という意味であるのと同時に、今持っているもので満足しなさい、という戒めでもあります。
おわり
このような「〜してはならない」という戒めは、一見、生活を窮屈にしているように感じます。
しかし、イスラエルの民たちにとって、このような言葉はむしろ良い影響をもたらしました。
なぜなら、何をしたら良く、何をしたら悪いのか、といった善悪の区別が明確になったからです。 そして、良いことをすれば、「幸せになれる」と言うふうにこの律法を解釈するようになったのです。
彼らにとって十戒は、「禁止事項一覧」ではなく、幸せに生きるマニュアルだったのです。
(参考)