もう一つの災い
ファラオが、モーセたち、イスラエルの民を追い出すトドメとなった出来事がもう一つあります。
神はモーセに言いました。
「家族ごとに羊を1匹用意しなさい。それから、その羊を殺し、玄関の脇と上に血を塗るのです。
そしてその肉を家族みんなで食べなさい」
「また、その時、酵母の入っていないパンを一緒に食べなさい」
何が何だかわからないモーセ。
しかし、これまでたくさん神の力と予言を目の当たりにしてきたので、次の命令にも疑いを持ちませんでした。
その夜。
エジプトに天使が現れるという事件が起こりました。そして、天使たちは、エジプト中の家を周り、玄関に血が塗られていない家にいる長子の命を奪いました。
一方、イスラエル人の家は、あらかじめ血を塗っていたので何事もありませんでした。
長子を亡くしたエジプト人たち。国中に嘆く声が溢れました。
そして、ファラオもその例外ではありませんでした。
なんと、自分の長子を失ってしまったのです。
こうして、ファラオは、とうとうモーセに言いました。「はやくエジプトから出て行ってくれ」
解放の日
ついにきた解放の日。
イスラエル人は荷物をまとめ、移動を開始しました。
この時、民の人口は150万~200 万人程度だったと考えられています。
そして、この日、神はモーセに告げました。
「この日を、“過越祭(すぎこしさい)“として毎年祝いなさい」
おわり
こうして長きにわたって戦った奴隷解放に向けての日々(4/5〜4/13)は、“過越祭”として、現代でもイスラエル人によって、毎年行われています。
今年も、皆で羊の肉と酵母の入っていないパンを食べながら、神に祈りを捧げたのです。
ボーナストリビア:過越祭
過越祭。
この祭りの要は、「血・羊・パン」です。
まずは、「血」についてです。
聖書で、血は「赦し」を意味します。
生まれた時から罪人である人間は、死ななければ、その罪を償うことができません。しかし、自殺するわけにはいきません。
そこで、身代わりを出すことにしました。動物の血をもってして、神に赦しをこうたのです。
続いて、「羊」についてです。
イエス・キリストは、「世の罪を取り除く神の子羊」 と呼ばれています。これはキリストと過越祭の羊を重ね合わせて語られた言葉です。
物語に登場する、過越祭の羊は、キリストを意味します。羊の血が流すことで、イスラエルは神の裁きを受けずに済んだのです。
そして最後に「パン」です。
過越祭では酵母が入っていないパンを食べます。
特に、“酵母が入っていない“という点がとても重要です。
酵母は罪を意味し、罪が入っていないパンは、罪のない人“キリスト“を意味するからです。
ではなぜ酵母は罪を意味するのでしょうか?
それは、パンを作る時の様子に起因します。パンを作るとき、酵母を入れると次第に生地が膨らんできます。
これは、「わずかな罪も成長して大きな悪になる」ということを意味しているのです。
また、キリストはある一節で、「わたしは命のパンである」と語りました。そのため、パンを食べるという行為は、キリストを体内に入れるということでもあるのです。
このように、血をもって神に赦しをこい、キリストを象徴する羊とパンを食べることで、キリストを体内に入れ、いつも一緒にいるという感覚を得る。
これが、過越祭です。
<PS>
余談になりますが、過越祭の羊を料理する際には、「骨を折ってはならない」というルールがあります。
これは、キリストが最後亡くなった“十字架刑“と関係があります。
一般的に、十字架刑は、受刑者の手と足を十字架に釘付けにし、しばらくすると足を折ります。そうすることで、足で体重を支えられなくなり、腕が引っ張られ、肺が締め付けられて窒息するというわけです。
これは一見ひどいように見えますが、受刑者の苦しみを長引かせないため措置でした。
しかし、キリストは、足を折る前に、死んでしまいました。
そのことから、「骨を折ってはならない」という不思議なルールが、段々と定着していったのです。
(参考)