今回は、精神科医の樺沢紫苑(かばさわ・しおん)さんが書かれた『人生うまくいく人の感情リセット術』から「上手に諦めるにはコツがある」をピックアップします。
諦めるの意味
私たちが「あきらめる」ことに対して、悪のイメージを持つのは、辞書に載っている言葉の意味にあります。
「あきらめる」を広辞苑で引くと、「思い切る。仕方がないと断念したり、悪い状態を受け入れたりする」と書かれています。
つまり、「あきらめる」とは、「夢を諦める」「意中のあの人を諦める」「努力するのを諦める」といったように、「できないからやめる」という意味で、一般的に理解されています。
しかし、「あきらめる」という言葉の本来の語源をみなさんはご存知でしょうか?
「あきらめる」は元々、仏教用語でした。
本来の意味は「明らめる =明らかにする」です。
ですので、「あきらめる」の真の意味とは、「できるかどうかを明らかにし、できないとわかったらやらない」という、選択をする行為のことをさしていたのです。
「その行為は自分にとってどんな価値があり、どこまででき、どこからが不可能なのか」
そんなことを明らかにするのが、「明らめる」の原義なのです。
うまく「あきらめる」には?
では、うまく「あきらめる」にはどのようにすれば良いのでしょうか?
それは、「受け入れる」ことです。
「自分が明らかにする」には、まず、自分のことを受け入れる必要があります。
これは一見、簡単そうに見えます。しかし、本当に難しいことです。
人にも、作用反作用の法則があります。
嫌なことをされたらやり返そうとしますし、苦しいことがあったら、何くそと、歯向かおうとします。
しかし、できないことを頑張り続けるのは、ストレスをためるだけです。
「苦しい」思いをしてまで頑張らないほうがいいことだってたくさんあります。
例えば、本書では「がんと闘う人」を例に挙げています。
「がんと闘うのではなく、受け入れる」そっちの方が長生きする可能性が上がります。
精神科の患者も、同様です。
病というのは、人のメンタリティに重荷を背負わせます。そしてそれは時間と共にどんどん膨れ上がるのです。
またそのような患者の病気は大抵、療養に長い時間を要するのですから皮肉な話です。
時間が経つにつれ、「まだ治りません!」「どうやったら治るんですか?」「早く治してください!」といったような気分になります。
このように、治らないことに強い苛立ちを感じる人も、少なくありません。
「こんなに頑張っているのに……そうだ悪いのは全部、医者だ! 薬が悪いんだ! あの爺さんの腕が悪いんだ!」
「病気」という悪に、本気で歯向おうとすることで、状況をますます悪化させてしまっているのです。
受け入れる心
一方、よくなった患者さんは皆、口を揃えていうことがあるそうです。
「病気と一緒に生きていけばいいんですね」
病気と自分の相性を明らかに、無理だと感じたら、それは「闘う」べきではありません。
「受け入れる」という姿勢へのチェンジが必要なのです。
物事を「受け入れられる」ようになった人は、最強です。
自分を俯瞰的に見ることができるからです。
そんな人は、長期的でに物事を見られるので、多少、症状が悪化しても、動揺しません。
病気は「人生のパートナー」と考えられるようになると、自分が病気であることのストレスは消失するのです。
病気と闘おうとするほど、「病気であることのストレス」がのしかかってきます。
しかし、病気を受け入れ、「一生、病気と共に生きていこう」と受け止めれば、という覚悟は、病気を乗り越えた、と言えます。
これは、「病気」以外の悩み事についても同じです。
「変えられないこと」「自分にとって強大な敵」と闘うことは最大のストレスです。
そして、闘えば闘うほど状況は悪化していきます。
しかし、その「悩み」や「問題」を受け入れた人は、「苦しい」感情から解放されます。
晴れやかな気持ちになるのです。
これが、「感情のリセット術」です!
おまけアニメ:『バビロン』
「善」と「悪」をテーマにしたアニメで『バビロン』という作品があります。
凶悪犯によって、「自殺法」が成立した世の中で、「本当の悪とは何か?」「正義とは何か?」を考える物語です。
(以下ネタバレになりますので、注意!)
この作品において、「善」とは「続くこと」と定義されます。
「生物が生きること」「ものが存在すること」
なんでもいい。ただ続けば、それで「いい」。
「善い」とは「続く」ことなんだ、と。
一方、「悪」は「終わること」です。
「死ぬこと」「消滅すること」「消えること」それらが「悪」です。
たとえ自分が病気で、毎日が辛く苦しくても、ただ「生き続けること」。
それ自体が善であり、正義であると。
そんなことを学べる作品でした!
今何かで悩んでいることがあり、今回の記事がそんな悩みの一助になれれば幸いです!