士師
今回から、『旧約聖書』の「士師記」にはいります。
「士師」は、中国語で「裁き司(つかさ)」「治める人」を意味する言葉です。
この士師記は、ヨシュアの死後、イスラエルを治めた指導者達の記録です。
また、基本的な物語は、「イスラエルの民が神に逆らい、罰を受ける」の繰り返しです。
そして、民が神に助けを求め、新たな士師が選ばれ、民を救う。といったストーリーになってます。
生き残った諸民族
カナンの民を滅ぼし、その地を占領したイスラエルの民。
ただ実はまだ、カナンには生き残っている諸民族がいました。
神の命令は「すべてを滅ぼせ」でした。
しかし、イスラエル人たちは、それを重んじることができず、場所によっては、打ち負かすことさえ、できなかった土地もありました。
そのため、イスラエル人たちは、諸民族と一緒に暮らすようになったのです。
染まってく民
神の奇跡を体験した世代が絶え、イスラエル民は、諸民族とも親しくなり、結婚によって交じり合うようにもなりました。
そして、これにより、諸民族が行なっている野蛮な偶像礼拝の風習も取り入れられるようになったのです。
、民たちの心は次第に、神から離れていきました。
おわり
神の信頼を失ったイスラエルの民たちは、今度、神の罰として、敵の攻撃を受けることになります。
次回は、最初の罰です。
お楽しみに!
ボーナストリビア:「鯉のぼり」は対抗心から生まれた!
日本独自の風習の一つに「鯉のぼり」があると思います。
実はこれ、もともとは、江戸庶民の武士への対抗心の表れてとして、定着した風習だったのをご存知でしょうか?
この風習が生まれた江戸時代。
当時、 7歳以下の男の子がいる武士の家では、戦国時代より陣地の目印として立てられていた「吹き流し」や、旗指し物として使われた「のぼり」を飾るしきたりがありました。
しかし、これらを飾ることが許されていたのは、武家だけでした。
そこで、江戸の庶民たちはこれに対抗し、鯉の形をした吹き流しを空に泳がせて節句を祝うようになったのです。
5月 5日の“端午の節句“「こどもの日」に行われる「鯉のぼり」は、このような背景で、今の風習となりました。
また、鯉のぼりは、黄河上流の竜門をのぼった鯉は竜になるという、中国の故事「登竜門」の伝説にちなむともされています。
つまり、男の子の立身出世を願う気持ちもまた、「鯉のぼり」には込められているのです。
(参考)