くじ引き
1週間後、サムエルは、民を集めて言いました。
「今から王を選びます。部族ごとに、くじを引いてください」
こうして、それぞれの部族代表が、くじを引いていきました。
すると、選ばれたのはベニヤミン族でした。
そしてさらに、ベニヤミン族でもキシュ族が、さらにその中でもサウルが選ばれました。
ただ、当のサウル本人の姿がありません。
皆が隅々まで探すと、サウルが荷物の間に隠れているところを発見しました。
嫌な予感がしたサウルは、最初から隠れていたのです。
しかし、見つかってしまったサウルは、渋々、民たちの前へと出てきました。そして、サムエルは言いました。
「この人があなた達の王だ」 すると、民は、「おー!」「王様万歳!」という歓声をあげ、サウルを迎えました。
サウルへの不満
しかし、そんな中でも、サウルが王様になることへの不満をあらわにする人たちもいました。
「なんでコイツが……」
「ありえない……」
「こんな弱そうな男に、民が救えるのだろうか」
当然、このような言葉はサウルの耳にも入りました。が、彼は何も反論せず、ただ黙って、流されるまま王になりました。
ピンチ、サウル!
サウルは、王に任命されたものの、元の生活を続けていました。
王になったからといって、何をしたらいいか、自分に何ができるのか、わからなかったのです。
そんな時、アンモン人が攻めてくるという事件が起こりました。たちまち、ヤベシュという町が包囲されてしまいます。
当然、民はサウルへ助けを求めにいきました。
しかし、当のサウルにはどうしたらいいか、皆目見当がつきません。
と、そんな時、頭の中にある声が響きました。
その声は言いました。
「いいですか、今からいうことを、そのまま彼らに伝えなさい。まずは、牛を1匹殺し、それを切り分け、使者に持たせるのです。そして、それをイスラエル全土に送るように言いなさい。さらに、“この戦いに出陣しない者はこのようになる”という言葉もつけるのです」
こうして、サウルの作戦のもと、イスラエルは、軍を組織しヤベシュへと向かいました。
そして、「新しく添えられた王は、ヒョウヒョロで弱そう」という情報を鵜呑みにしていたアンモン人たちは、そんなイスラエル軍に、たちまち敗走してしまいました。
おわり
こうして、勝利を収めたイスラエル人たちは、王サウルへの信頼をますます高めていきました。
そしてある者が言いました。
「そうです、王様! ここいらで、あなたが王になることに好意的でなかった者たちを殺してしまうのは、いかがでしょうか?」
この言葉に、周りに人たちは「そうだ、そうだ!」と声を上げました。
しかし、サムエルは首を縦にふりませんでした。
「今日は神がイスラエルを救われた喜びの日です。ですから、誰かを殺してはなりません」
ボーナストリビア:年賀状はクジによって広まった!
クジで真っ先に思いつくのは、「お年玉付き年賀状はがき」。
今では、「正月といえば年賀状」というのが一般的になっています。
しかし、みなさんは、この風習がいつ頃から始まったのかご存知でしょうか?
一般的には、近代的郵便制度が整った明治時代以降が、はじまりだとされています。
しかし、実は江戸時代にも既に、一部武士や商人の間では、飛脚を使った年始のあいさつが交わされていたこともわかっています。
ただ、それはあくまで一部の人たちだけの話でした。
ところが、その後、明治 6年に、安くて手軽な郵便葉書が発売され、昭和24年には、「お年玉つき年賀はがき」が発行されたことにより、爆発的な人気を呼びました。
ですので、今の「正月といえば年賀状」という価値観は、「くじ」によって作られた価値観だといっても過言ではないのです。
また余談になりますが、実は、この「お年玉付き年賀状はがき」をアメリカに送ることはできない、ということをご存知でしょうか?
理由は簡単で、アメリカでは、「外国の宝くじを買ってはいけない」という法律があるからです。
アメリカでは、「ハガキは宝くじ」とみなされてしまうわけです。
面白いですね。